法政大学経営学部 ゼミの学生の訪問のご報告

10月1日、法政大学経営学部で企業の社会的責任をテーマに研究しているゼミの学生の訪問を受けました。JSAG側からは世界経済フォーラムの高橋さん、国際赤十字・赤新月社連盟の松本さん、ILOの茶谷さんが参加し、企業がいかに国際的課題に関わることができるかについて話しました。

高橋さんからは、影響力のある政治・経済のグローバルリーダー達が、世界経済フォーラムのプラットフォームを通じて、いかに課題を形成し、議論を重ね、アクションに結び付けているかについて説明がありました。松本さんからは、企業が赤十字の人道支援活動にどのように貢献しているか、各地の事例の紹介がありました。東日本大震災で日本企業が赤十字社を通じて被災者の支援にあたった例も取り上げられました。茶谷さんからは、発展途上国の人々の生活の安定と自立のために、企業が現地の人々の技能形成を通じて貢献できるとの話がありました。

参加した学生からは、国益・企業益にとらわれない中立な立場から影響力のある著名人を国際的課題にコミットさせる世界経済フォーラムの活動に感銘を受けたとの声が寄せられました。また、企業と赤十字の連携事例が参考になった、企業活動を通じた技能育成が持続可能な形で貧困削減につながることに気付いた等の感想を頂きました。


講師を務めた側からは、企業のグローバル・イシューへの取り組みついて関心のある学生の方々が、いつか企業活動・国際機関等を通じて貢献してくれることへの期待が表明されました。また、企業の国際的課題への取り組みが当たり前のことになるといいですね、等とのコメントがありました。


新企画「JSAG会員書籍紹介」第1弾 藤田由布さんによる書評 國井修氏著 「国家救援医」

JSAGでは、会員が執筆・編集等に関わった書籍、論文、ブログなどの紹介を始めます。記念すべき第1回は、國井修(グローバルファンド、JSAG会長)氏の著書「国家救援医」(2012年、角川書店)です(アマゾンのリンクはこちらから)。

今回の書評の執筆者は、西アフリカの開発事業に長年携わり、現在は日本で医師として活動を始められた藤田由布さんです。


國井修氏著 「国家救援医」 書評

破たん国家の医師とは一体何者なのであろうか。著者の國井修氏は列記とした日本人医師、そして、一国の自立の手助けをするのが彼の仕事だ。しかし、時には防弾チョッキを着て装甲車で巡回視察し、時にはサイクロン災害の緊急援助に奔走し、時にはスラム街で人間の本当の豊かさについて想いを巡らす・・・益々一体何者なのか分からなくなる。

「超人」とは國井氏のような人のことである。110か国以上で活動してきた医師など、私は他に知らない。医学部に在学中からインドやカンボジアで学び、ハーバード大学で公衆衛生学を学び、東京大学で博士号を取得。国際救急医療援助のNGOを立ち上げ、日本の僻地医療にも従事。外務省や国立国際医療センターを経て、長崎大学熱帯医学研究所で教鞭をとり、ユニセフ職員、そして現在は、世界エイズ・結核・マラリア対策基金(通称「グローバルファンド」)の戦略局長として、途上国の保健政策に幅広く携わっている。こんな経歴など、誰もマネできやしない。目標にさえもできないほど、稀有に富んだ爆発的な超人史である。しかし、そんじょそこらの「超人」ではないのが國井氏だ。日本の地域医療からソマリア難民キャンプに至るまで、僻地・被災地を走り回った國井氏の軌跡は、どことなく人情味溢れていて、希望と失望が入り混じった生身の人間、そんな印象を受けるのだ。近所の診療所にいる気さくで何でも話せる町医者のような愛くるしい人物という印象さえも受ける。真っ黒のスパゲティを御馳走だと思ってフォークを入れるとハエが散り去り、そこには具のないただの白パスタのみ、それをイカ墨パスタと思って美味しく味わえる底抜けのポジティブ精神、やはりタダモノではなさそうだ。停電・断水・虫だらけの環境でもベッドがあれば「心地よい」と言い、どんな食べ物でも「うまい」と言う、そんな「面白超人」が國井氏なのだ。

小学生の頃、担任の先生から「お前の知能指数は平均以下だ」とレッテルを貼られた事もあった國井少年。しかし興味ある物には何でもかぶりついた。きっと、純粋がそのまま大人になると國井氏のような超人になれるのだろうか?! 熱い心で行動する國井少年は、子供の頃から抱いていた情熱で自ら人生を動かし続けたのである。國井少年は、現実を見なかったふりが出来なかったのである。見て感じた現実を背負う覚悟がいつもそこにあったのだ。大人になってからも、だ。

スマトラ沖地震、バングラデシュの竜巻災害、タリバーン崩壊後の戦禍が痛ましく残るアフガニスタンなどなど、記憶に新しい世界のニュース、また、日々放映される巷の難民問題や民族紛争は、日本にいる限り遠い国の出来事に感じてしまう。しかし、この本を通してこれらの世界情勢をみると、現場の情景が明々白々に見えてきて、どんな人がどんな想いでこれらの災害や惨事に携わっているのかを垣間見れるのである。それもそのはず、どれも國井氏本人が直接体験した事ばかりだから。国々の歴史や政治、一国の発展や紛争の背景、援助のジレンマなど、彼の言葉でありのまま叙述されており、ニュースで見聞きするよりはるかに身近な争点として身体にしみてくる、そんな本なのである。

現場は決して教科書通りではなく、何が正解か分からない混沌とした事態に常に遭遇し、これらを想像力と創造力で立ち向かわねばならない。教科書の向こう側を学ぶには、國井氏は病院を飛び出して、目の当たりにした現実に飛び込むしかなかったのだろう。幾度となく命の危険に曝されてきた國井氏だが、やはりこの人は神に生かされ、使命を授かった特別な人間なのではないか、とさえ思えるほどである。

途上国の医療現場には予防可能ながらも、医療の力で治癒できる疾患で命を落とす人々が未だに後を絶たない。日本の地域医療においても医師の偏在、地方の医療過疎は深刻であり、医師不足の地域、受け入れ病院の見つからない救急患者や安心してお産ができない妊婦など、健康に生きることに不安を抱える人々がいる。岩手、秋田、長野、栃木の村々で地域医療に触れ、また携わった時、國井氏は住民と酒を酌み交わし語らい、とことん地域と人を知ることに尽力した。地域行政を巻き込んで住民主導の健康づくりを推進していくこの國井戦法の支援の主人公はいつも地域住民なのである。國井氏にとって、ソマリア難民キャンプは日本の僻地医療の延長線上にあり、いつもどれも身近な課題なのだ。
ひとの夢は単純で純粋なほうがいい。思い込みが強ければ強いほど、ひとを動かす力も強い。國井氏の言葉は重くて優しい。どんな人生にも何らかの「縛り」や「制限」があるけど、むしろこの制限の中で学ぶ事が多い。回り道をすることで、違った世界を見て、人生に楽しみやゆとりが増えることもある、と彼は言う。

私はアフリカへ戻るために随分と遠回りして医師となったのだが、年増で新米医師として人生再スタートする私にとっては、この本が心ゆさぶる応援歌に聞こえて仕方ない。國井超人が最後に締めくくった言葉「私は諦めない」。これほどまでの超人がまだ戦っているじゃないか。ならば、私もとことん地面を這いつくばっていってやろうじゃないか、と、國井超人の大きく優しい背中を追いかけたくなるのである。

2015927
文責: 藤田由布


関西大学でメディア制作を専攻し、青年海外協力隊でニジェールの保健省で教育教材開発に携わる。西アフリカでカーターセンター職員としてGuinea Worm撲滅に従事したのち、開発コンサルタント等を経て、XX歳のときに一念発起し医学部に入り直す。2014年に欧州と日本の医師免許を同時取得し、現在は研修医として、さいたま赤十字病院に勤務。産婦人科医の専門医を目指しつつ、西アフリカ帰郷を志望。

JSAG國井修会長による講演会 8/31

JSAG國井修会長による講演会

2015831日、在ジュネーブ国際機関日本政府代表部において、JSAGの國井修会長による講演会「グローバルヘルス 現場で求められていること、世界でこれから求められていくこと」が開催されました。日本の千葉大学の大学院の学生さんたちがジュネーブの国連・国際機関を訪問され、代表部からのご好意で講演会に引き続いて懇親会を開催していただきました。
國井会長からは、紛争地帯や感染症のパンデミックが発生している地域でのご経験から、その現状と保健医療援助を行う際の課題、必要とされる援助のあり方、さらに現在お勤めのグローバルファンドが取り組んできた世界でのエイズ、結核、マラリア対策の成果や今後の課題・目標などについて熱く語っていただきました。



「グローバルヘルス 現場で求められていること、世界でこれから求められていくこと」




医学生ころからインドシナの難民キャンプやソマリアの紛争被災民などに医療ボランティアに行き、医師になってからも、NGOJICA、大学、国連(ユニセフ)などを通じて、世界の様々な紛争地、被災地、辺地での緊急援助、感染症対策、母子保健などに従事してきた。講演会では様々な現場の写真を示しながら、カンボジア、ソマリアの内戦で何がおこっていたのか、ネパールの僻地で、アフガニスタンの内戦後の社会で、インドネシアの環境破壊で、バングラデシュの水害でどんな保健医療問題があったのか、具体的な事例が説明された。特に、女性の権利が制限される国、歩いて半日以上かけないと医療機関にいけない地域での問題、援助で病院を建設した後に引き起こされた問題など、興味深い内容であった。
2014年にはエボラ熱流行が大問題となっが、アフリカでは今もエイズ、結核、マラリアがエボラ以上の脅威を与えている2014年の一年間エボラにより約8000人が亡くなったが、エイズではアフリカだけでも年間100万人以上、マラリア・結核を含めると年間180万人以上が亡くなっている。
現場で肌で感じたというが、エイズで多くの人が亡くなっていた1990年代アフリカの現場には驚愕したというLife expectancy20近く下がってしまった国もある。2000には国連安全保障理事会で初めて健康問題であるエイズが世界の安全保障の課題に取り上げられ、7月の沖縄サミットでも世界の感染症問題が主要議題に挙がったこれを契機にGlobal Fund2002設立された
多くのドナーが資金を提供する代わりに、具体的な成果を求められ、イノベーションを期待された。その結果、この十数年間で140カ国以上で予防・治療・ケア・サポートが拡大し、救った命は1000万人以上に上るといわれる。
もちろん、課題も多い。エイズでは死亡率・新規感染率が下がった国は多いが、増えている国もある。マラリア流行再燃しやすく、多くの国や地域で手を緩めたために再興した失敗例がある。最近では薬剤耐性マラリアや薬剤処理した蚊帳に抵抗力のある蚊現れ国境を越えた対策が必要である。結核は、診断・報告されていないケースが300万人にも上り、多剤耐性菌も広がりつつあることなどが問題となっている。
現在、これらの3大感染症を2030年までに制圧する(End epidemics as public health concern)にはどうすべきかをパートナー機関(WHOUNAIDSなど)と共に議論・計画している。それには戦略的投資、シナジー、イノベーションなど5つの要素が必要と考える。それぞれについて説明がなされた。
この目標は野心的と思われるが、不可能ではない。ただし、国際的な努力と責任の共有が必要。それに必要な資金や資源の動員は不可欠だが、今後は先進国から途上国への援助といった伝統的な援助の形だけでなく、低・中所得国の自助努力、能力強化、新興国の役割強化なども重要である。
 グローバルファンドで議論されている次期戦略の中心課題が示された後、MDGs(ミレニアム開発目標)からSDGs(持続可能な開発目標)に移行する現在、グローバルヘルスには今後どのような潮流が作られていくのかが問いかけられながら講義が終了した。

質疑応答(一部)
Q: 現場に入り、切迫した事態になって「これはまずい」となった時、どう対応するのか。
A: まずは平時からリスク管理をしておくこと。現場で起こりうるリスクを評価し、その対応について事前に計画しておく。安全管理については専門のスタッフを雇って準備と対応をしておく。安全管理に関するスタッフ教育・訓練も重要。これにしたがって「これはまずい」という状況に応じて、スタッフが判断し、本人が対応できない場合は安全管理者に任せる。カージャックに遭遇した時、紛争地帯や地雷エリアに足を踏む込んでしまった時など、私自身はそれを想定したトレーニングを受けてきたが、そのようなリスクを伴う場所で支援する場合は、組織として安全対策を行う義務がある。
Q: 現地の、文化・宗教上の違いからくる困難にぶつかったときにはどうしたらいいのか。
A: 状況分析などができる専門家と共に、現地の人々の参加の下に改善策を考え、試行錯誤でやっていく。たとえばエボラの場合、現地の葬式の風習が感染を拡大する原因になっていた現地の人々にとって、その問題をどう捉え、文化・風習をどのように位置づけ、どこにどのような価値があるのかなどを理解することがまず重要。それに基に、現地の村長や保健担当者など国や地域のキーパースンを中心に議論してもらい、改善策を考えてもらう。たとえば、村の長老などから村人に協力を呼びかける、女性たちを集めて女性に家庭の中から変えてもらうなど、その場その場でやり方は異なり、すぐにうまくはいかないかもしれないが、何がうまくいって何がうまくいかないかを分析しながら、試行錯誤で前進させるしかない困難だが不可能ではない。現場には必ず解答があると信じている。




國井修氏 (世界エイズ・結核・マラリア対策基金(通称 グローバルファンド) 戦略・投資・効果局長
1988
年自治医大卒。栃木県の山間へき地で診療する傍ら,国際緊急援助や在日外国人医療援助に従事。米ハーバード大公衆衛生大学院留学を経て,自治医大助手,国立国際医療研究センター,ブラジル(JICA専門家),東大講師,2001年より外務省。04年長崎大熱帯医学研究所教授,06年からユニセフ(国連児童基金)。ニューヨーク本部,ミャンマー国事務所を経て,10年にソマリア支援センターへ勤務。内戦中,飢饉で苦しむ同国で子どもの死亡低減のための保健・栄養・水衛生事業を統括した。13年より現職(スイス・ジュネーブ在住)。著書に,『国家救援医――私は破綻国家の医師になった』(角川書店),『災害時の公衆衛生――私たちにできること』(南山堂)などがある。

国際機関 履歴書・カバーレターの書き方セミナー

タイトル:履歴書・カバーレターの書き方セミナー

JSAGは、4月に国際機関での就職を目指す学生を対象にセミナーを開催したのに続き、先日8月26日に国際機関でのポスト獲得に役立つスキル、履歴書・カバーレターの書き方についてセミナーを開催しました。

セミナーの講師を務めて下さいましたILO人事局採用担当官の伊藤美保子女史は、過去15年間国連事務局を含む複数の国連機関で勤めた経験を基に、採用側から見た効果的な履歴書やカバーレターの書き方、注意すべき点等について詳しく話してくださいました。人事部門と採用部局のマネージャーが応募書類を審査するプロセス、そして良い例・悪い例から得られた応募書類作成のコツ・留意点は大変参考になるものでした。いくつか紹介します。

1.ショートリストする際に読まれるので、カバーレターは必ず作成しましょう。志望動機、自分が応募資格を満たしていることを簡潔に述べ、そのポストに求められる重要なコンピテンシーについて3つ程度具体的に言及することができたら上等です。採用側はカバーレターから応募者のドラフト能力を見るので、よく校正しましょう。

2.職歴欄のDutiesには応募しているポストと関連するものを厳選して書き、action verbを使って書きましょう。DutiesAchievementの混同が多いので、うまく書き分けましょう。具体的な数値を入れると効果的です。チームで達成した成果の場合でも、自分の役割について言及できるはずです。

3.現職からの離職理由を記載する欄では、応募するポストへの自分の熱意等をアピールすることができます。

4.Referenceに挙げる人は、国籍や男女のバランスに配慮し、空席に応募していることを事前に連絡しておきましょう。
5.なるべく早く応募しましょう。採用マネージャーが締切日より前に応募書類を見ることもあります。

なお、講師の伊藤さんが立ち上げに関わった https://careers.un.org/ の Creating your job application Sectionに有益な情報が掲載されていますので、ぜひご参照下さい。

参加した17名の若手邦人職員(インターン・短期契約職員・JPO)からは、採用担当官からの実践的なアドバイスが役立った等の声が聞かれました。
また、セミナー後の昼食会には、邦人上級職員の方々にもご参加いただき、国際機関でのキャリア形成などについて、ご経験に基づいたアドバイス等を共有して頂きました。

セミナー開催にご協力頂きました皆様、ありがとうございました。


電話での面接

電話での面接

最近は電話やスカイプ等を使っての面接が増えている。各機関とも予算の関係かハイレベルのポストでないとなかなか直接の面接に呼ばなくなった。全候補者が同じ通信方法で同じ質問内容に答えるという意味で、雇用者側にとっては得られる情報の質は違うにしても候補者の差別化は十分できるわけである。電話やスカイプ等を使っての面接への対応は基本的には直接の面接と同じだが、より高いコミュニケーション能力と念入りな準備が必要だろう。

今回は電話での面接を取り上げてみた。電話での面接の場合、顔や動作が見えなくて不利な分必要書類を手元におき参照できることと、自分の馴染んだ環境で行えるという特典がある。環境をチェックしておいて面接中思わぬ邪魔が入ったりしないよう心掛けたい。

最初に面接官の名前を書きとめておくと使用しなくても安心が増すだろう。映像は見えなくても笑顔で背筋を伸ばした姿勢での受け答えは相手に伝わるものだから、明るくテンションの高いスタートを心がけよう。声のトーンを心持ち上げ、必要であれば電話の前に立って受け答えをしたり、ドレスアップしたりするのもいいだろう。とくに  なぜこのポストに興味があるか等の始めの質問には, 興味や熱意を伝えるような口調を使い話の内容に合わせた声音とペースを心がけよう。必要以上に早口、またはゆっくりにならないよう自分の受け答えを携帯に吹き込み聞いてみる等、前もってリハーサルしておけば余裕が生まれる。

また事前に要点を簡潔に書いたものを用意しておけば、受け答えの際便利だろう。ただし棒読みはさけよう。面接官の質問や説明が長引く場合は時々Hmm, Yesなどあいずちを入れたいものだ。ずっと黙って聞いていると、顔が見えない分相手も不安になってくる。質問の受け答えは簡潔にしよう。動作や表情が見えないので、長い答えは直接面接の場合より面接官にとっては長く感じられものだ。説明する状況が複雑な場合も、順序だてて要点をつかんだ話方を心掛ける必要がある。

電話の回線問題でよく聞こえなかったり、会話が途切れたりすることがあるが、本人の責任ではないしよくあることなので焦る必要はない。その際は早めに面接官の注意を引き指示を仰ぐことを勧める。例え会話がそのために途切れるようなことがあっても最初のダイナミックな応対は印象に残る筈である。スカイプ面接の対策は次の機会に書きたい。



 

投稿者: 小島晶子、UNISDR, WIPO人材コンサルタント

 
"キャリア国際機関www.careerkokusai.com

国際機関邦人職員インタビュー第2回:石垣和子さん UNISDRエコノミスト


国際機関邦人職員インタビュー第2回は、今年3月に仙台で開かれた国連世界防災会議をコーディネートした国連国際防災戦略事務局(UNISDR)本部で働く石垣和子さんにお話を伺いしました。石垣さんはUNISDR着任以前は国土交通省や内閣府で働いており、東日本大震災後の防災基本計画の改正に関わったことから、「日本の教訓を世界に伝えるとともに、世界の防災政策に貢献したい」と、2012年からUNISDRでエコノミストとして働き始めました。インタビューでは、防災会議についてだけでなく、頻繁に海外出張がある中で、いかに小学生の娘さんの子育てと仕事との両立を図ってきたかについてもお聞きしました。 (聞き手:黒岩揺光)

黒岩:UNISDRではどんなお仕事を?

石垣:着任してから具体的にわかったのですが、私が応募したポストの仕事は、災害リスクを加味した公共投資計画の立案について途上国の財務省関係者を対象にした研修を企画・実施するというもので、エコノミストとしては面白い仕事でした。しかし、この仕事だけでは仙台の会議に深く関われないと思い、2013年半ばから、世界約100か国からUNISDRに提出される防災政策の現状レポートを分析し、世界共通の課題を抽出して一冊の本にまとめる仕事を企画し、昨年、その本を刊行しました。この本がきっかけとなり、仙台防災枠組みにおける各国の目標数値達成の進捗状況をモニタリングするシステム構築を私が担当することになりました。それで昨年半ばから、専門家委会合、加盟国間での会合などをオーガナイズし、これが、仙台会議におけるこのテーマの特別セッションという形で昇華しました。現在も、仙台後の加盟国間の協議に向けた文書の立案を行っております。

黒岩:何もないところから自分でプロジェクトを立ち上げたわけですね。

石垣:国連で大事なのは、自分で企画する力だと思います。まず、同僚の皆さんがどんな仕事をしているのか把握し、必要ではあるが誰もやっていない仕事を特定して、それを自分の仕事として立ち上げる。

黒岩:具体的には、石垣さんは、どのようにその企画を特定したのですか?

石垣: 100カ国近くが報告書を出しているのに、UNISDRでは職員はみな忙しく、かつ政府で長く勤務した経験がある人がいないため、法律や公共政策の基本的仕組みを理解した上でしっかり政策分析できる人がいませんでした。それに、私は途上国での勤務経験がないので、途上国のことを知る良い機会になるとも思いました。この企画はUNISDRや世界各国だけでなく、わが国はもちろん、自分自身の勉強のためにもなると信じて推進してきたので、きちんとした形になりつつあることをうれしく思います。

黒岩:私も、石垣さんの様に新しいプロジェクトを立ち上げてみたいのですが、同僚と縄張り争いになってしまうのを恐れて、躊躇してしまうことがあります。

石垣:基本的には、誰も手をつけていないけれど重要なテーマを見つけ出すことが大事だと思います。そうは思っていても、私も、同僚の業務とかぶってしまうことがあって、その時は少々揉めました。でも、普段から「いい人」として、同僚と信頼関係を養っておくことが結局は大事だと思います。相手の仕事を奪うつもりはなく、世界にとって必要だけどあなたは忙しくてできないだろうから私がかわりにやりましょうと無私の心で論理的に説明することが必要です。一方で、このような場合は特に、出版物なり会議なり何かしら目に見える成果を出し、それを「自分の成果」としてしっかりアピールすることが大事です。自分がやった仕事なのに結局は本来の担当者がやったというように思われたのでは、やはり不当ですから。「いい人」と「お人好し」は異なるので、和を大事にしつつも、自分の意見が論理的であると思えば人と対立してでも主張できる強さが国際社会では求められると思います。
                         (ジュネーブの国連欧州本部内を歩く石垣さん)

黒岩:石垣さんは国連職員であると同時に、シングルマザーでもあります。海外出張が多いなか、子育てはどうされているのですか?

石垣:最低月1回は海外出張があるので、常日頃からベビーシッターさん候補を探しておきました。できれば日本人がいいので、日本からの交換留学生をヘッドハンティングしたり、日本語補習校での子どもの同級生の家に預かっていただいたりしてなんとかこれまでしのいできました。特に大変だったのは、仙台防災会議の前の半年ほど、UNISDR神戸事務所長代理を務めることになり、月半分は東京で日本政府との調整業務をしていた頃です。防災投資の研修の仕事も通常通り続いており、ジュネーブにいることが月5日程度という時もありました。その時は、東京の実家の母にジュネーブに来てもらって、娘の世話をしてもらいました。

黒岩:娘さんに悪いという気持ちもあったりするんですか。

石垣:子どもって、すごく親想いなんですよ。親が子どもを想うより、子どもが親を想う気持ちのほうが強いように感じます。例えば、私の実家の母は、私が頻繁に海外出張に行くことを「子どもをほっぽって仕事ばかりして」と私を痛烈に批判することがあるのですが、それに対して、娘が「そんなことはない。ママは私の学校のこともちゃんとやってるよ」ってかばってくれたりするんです。でも、親はそういう子どもの優しい気持ちにあぐらをかいて甘えてはいけないと思っています。だから、出張に出かけるときは胸が痛くなりますし、帰ってくればどんなに仕事が忙しくても娘の話を聞く時間をできるかぎりとるようにしています。親の私の勝手な都合かもしれませんが、こういう経験で親の私も娘も、またその間の信頼関係も強くなればいいとは願っています。

黒岩:国連を目指す若者が減っています。

石垣:国連の特徴は、色々な国籍の職員が入り混じっていること。民間の多国籍企業の社員も多国籍だとは思いますが、基本、本社がある国の人たちが上層部を占めると思います。国連は本当に上から下まで多国籍です。様々な文化が入り交じった職場というのは、軋轢もあれば、おもしろいこともあります。社会人を15年やって、一番怒ったのも国連なら、一番おもしろいと思ったのも国連です。感情が豊かになって、人生がカラフルになると思います。一回しかない人生ならカラフルな経験をしたいと思いませんか?

参考リンク:

UNISDRに関して知りたい方は http://www.unisdr.org/kobe/about



インタビュー後感想:娘さんが石垣さんをかばう話をされた際、石垣さんの目に涙が溜まり、私も、もらい泣きしそうになった。私の妻も国連職員で、結婚後も3年別居生活だった。その後、私が仕事を辞め、1年間、妻に寄り添い、その後、妻が特別休暇を取って、半年、私に寄り添った。一見華やかな国際会議の舞台裏には、会議を支える職員たちの日々の家族との葛藤があるのである。

聞き手プロフィール:黒岩揺光 国連難民高等弁務官事務所ジュネーブ本部にてアソシエートプログラム担当官。元毎日新聞記者。ケニアのダダーブ難民キャンプで国連機関やNGOで2年8ヶ月働く。




「国際機関邦人職員インタビュー」をHPで始めました

皆さま、

JSAGでは、HPで「国際機関邦人職員インタビュー」を始めました。人道都市ジュネーブでは国際機関で働く邦人職員が100人以上おり、インタビューでは、仕事の話だけでなく、プライベードや人道・開発支援について日々思っていることなどについて紹介しています。直近では、UNHCRアジア局次長の伊藤礼樹さんにお話を伺いました。http://jsag-geneva.blogspot.ch/2015/08/jsag-2unhcr-unhcrunhcr-unhcr-unhcr.html

そこで、読者、会員の皆様の中で、「この機関の人のインタビューを読んでみたい」または「この人に直接話を聞いてみたい」という人がいましたら、ぜひアイデアをjsagjsag@gmail.comまで共有していただけませんでしょうか?JSAGの世話人一同で相談し、私たちが直接インタビューするか、それとも会員/読者の方がインタビューできるよう、こちらでアレンジできるかなど、検討させていただきたいと思います。インタビュー対象者はジュネーブ在住で国際機関で働いているか、または国際機関と深く関連されている方とさせていただきます。

皆様からのご連絡お待ちしております!

JSAG世話人一同

jsagjsag@gmail.com