国際機関邦人職員インタビュー「仕事と子育て」座談会

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国際機関で働く場合、機関や職種にもよりますが、勤務地や雇用の継続性などで一般的な日本企業への就職に比べて高い柔軟性が求められ、見通しが立てにくい面があります。その中で、仕事と私生活、特に家族との生活をどのようにバランスさせていくのかは、これから国際機関への就職を志す方にとっても一つの関心事ではないでしょうか。そこで今回は「仕事と子育て」に焦点を当て、ジュネーブの国連機関で働く傍ら、子育てを経験されてきた先輩職員と、現在子育て中の若手職員に、仕事と家族生活に関するこれまでのご経験や考え方について対談していただきました。

今回は異性との婚姻や出産・子育てについての経験を語り合いましたが、価値観は人それぞれで、もっと違う形の家族や、家族を持たない生活も当然あります。そのような多様性を認めつつ、仕事と私生活のバランスはどんな人にも必要、という認識を踏まえての座談会とご理解ください。また、以下の内容は個々人の「経験談」ですので、現時点での制度については各機関や学校などにご確認ください。

座談会参加者
野口好恵さん:国際労働機関(ILO)労働法改正・支援ユニット 労働法上級専門家
松尾嘉之さん:世界保健機関(WHO)財務部 ファイナンス・マネージャー
小林有紀さん:国際労働機関(ILOBetter Work プログラム・リサーチオフィサー(JPO
戸田満さん:国際労働機関(ILOFuture of Work テクニカル・オフィサー(JPO
JPO = ジュニアプロフェッショナルオフィサー(外務省の邦人若手職員派遣制度)

実施日:2018926
聞き手:和氣未奈、浅海誠、服部真衣(ともにILO



1.まず皆さんの現在に至る職歴と、ご家族についてお教えください。

野口:私は人事院に法律職で働いている間、今で言うJPO制度(当時は国家公務員もILOに複数の省庁から来ていました)でジュネーブのILO本部に2年間勤務しました。その後帰国して霞ヶ関の仕事に戻り、英国人でILO職員だった相棒が無給休暇を取って来日し結婚しました。一年の休暇が切れた時点で、彼が仕事を辞めて東京に留まるか、私が辞めてジュネーブに来るかの選択をせまられ、ジュネーブを選びました。その後、長男の出産直前にILOで前と同じ法律職の試験を受け、何度か繁忙期のみの短期契約(Short-term)で働いたのちに任期付任用(Fixed-term)、期限の定めの無い任用(WLT)となりました。短期契約の合間に、長女、次男を出産しました。子どもは三人とも、もう成人しています。

松尾:私はもともとは日本の銀行で証券アナリストとして勤務していたのですが、企業派遣プログラムでフランスに渡りMBAを取得する機会がありました。その後、ベルギーに赴任した際に、現地の女性と結婚しました。一度仕事の都合で日本に帰ることになったのですが、ヨーロッパでの働き方や生活に魅力を感じ、自力で2年間ほどかけてヨーロッパでの仕事を探し、2000年にジュネーブのILO本部で採用されました。ILO本部で4年、WHO本部で3年、パリのUNESCO本部で4年働き、2011年から再びWHO本部の財務部資金管理・運用セクションに勤務しています。前職の経験を活かせる、資産運用や世界各地の事務所のための為替取引などを担当している部署です。東京生まれの長男と、ジュネーブ生まれの次男がいます。

小林:私は日本の大学の学部を卒業後、日本民間企業に勤務していましたが、日本人の夫の転勤で一度ジュネーブに移住した際、こちらで修士号を取得しました。その後、日本のJICA本部や、在ジュネーブ日本政府代表部で働いたのち、2017年の春にJPOとしてILO本部に着任しました。その後2017年秋にジュネーブで出産して、現在子育て真っ最中です。結婚後、夫とはお互いにキャリアを優先する形で別居の期間もありましたが、今回は出産・育児もあるので、夫が調整して会社のジュネーブ支社に転勤してくれました。

戸田:大学在学中から国際機関への就職を念頭に置いていました。2011年に日本の大学(学部)を卒業後、途上国での実務経験を積むために新卒でインドの現地企業に就職し、ムンバイ本社で2年間勤務しました。その後、日本の民間企業に転職し、東京で3年間働きました。そして、JPO試験の要件のひとつである修士号を取得するためにロンドン・スクール・オブ・エコノミクス(LSE)に留学し、卒業年度にJPO試験に合格しました。私は小林さんとJPO同期で、同じく2017年春にジュネーブのILO本部に着任しました。妻は日本人で学校の教員をしていて、産休制度等を活用してジュネーブに同行してくれています。2017年夏に第一子が生まれました。


2.小林さん、戸田さんは、国連機関でのキャリアのスタートと結婚・出産のタイミングをどのように考えられましたか?

小林:JPOの対象者はどうしても結婚や出産が重なる時期にあります(日本の場合、修士課程修了後~35歳以下)。平均年齢は30代前半くらいだと思います。また、開発関係の仕事だと23年間の契約で働いている場合も多く、結婚や出産を躊躇する場面もあるかと思います。私の場合、出産については、30歳になり年齢との関係でもうあまり先送りできないかなと思っていたところ、妊娠が分かりました。出産し落ち着いてからJPOに応募することもできますが、ポジションとしてはP2のポストが大多数なので、キャリアの面からいうと、次につなげるうえで早めにJPOを開始した方がいいかもしれません。常に不安要素はあるので、それぞれ個人の考え方とどこで見切り発車するかだと思います。

戸田:ジュニアレベルやインターンから国際機関でキャリアを積んでいく場合は、最初の10年間くらいは雇用期間・形態や勤務地などの面で不安定さや予測のしにくさは常について回ります。その事実を受け入れたうえで、パートナーのキャリアとも折り合いをつけながら、結婚・子どものタイミングを考えるのが理想ではあると思います。ただそうは言っても、実際のところはパートナーとの出会いも巡り合わせで、子どもも授かりものです。そのため私の場合は、家族に纏わることの方を所与として、その中で最善のキャリアを実現するように心がけています。現段階では、私と妻それぞれのキャリアや子育て環境を踏まえて、よりよい選択ができるように話し合いをしているところです。私自身が母子家庭のような環境で育ったこともあり、子育てにきちんと関わりながら、開発関係の仕事をしていければと思っています。


3.出産~乳児期の子育てと仕事はどのように両立されたのでしょうか?所属機関で利用された制度などもあればお聞かせください。

小林:ILOに着任した際、妊娠中の旨を伝えていたので、医務室の先生が面接してこちらで医師が見つかったか、また健康的に働けるかどうかなどを確認してくれました。また助産師資格を持つ看護師さんがいたり、しっかりした授乳室があったりして、とても助かりました。ILOでは産休が16週間取得できます。私は産前2週間から産休に入り、産後は14週間に有休を合わせて4か月休みました。特に産前は、正直体力的にキツかったのですが、在宅勤務を週1回入れて、読み物系の仕事をまとめてしたりして、メリハリをつけて乗り切りました。産後、上司は80%(週4)勤務や無給での育休延長を提案してくれたのですが、その分、JPOの期間が延びることはないですし、やはり今は仕事も頑張る時期かなと思い復帰後はフルタイムで働いています。ただジュネーブでも保育園が不足していて、保育園に入れたのはつい1か月前です。それまで5か月くらいは、お金はかかりますがナニーさんに来てもらっていました。

野口:私は3人とも出産がILOとの契約の切れている期間でしたので、産休は全く取得できませんでした。3人目が生まれたときは、3歳、1歳、0歳で、双方の実家の援助も無く、特にILO総会前後の繁忙期など、どうやって乗り越えたんだろうと今にして思います。長男出産のあとは、勤務時間50%で給与も50%という形で働いてみましたが、仕事量は50%で終わらない気がして、その後はフルタイムに戻りました。ILOの中でも私の担当していた国際労働法の適用状況を国別に書面審査する仕事は、仕事の内容と成果物がはっきりしているので、このような働き方に親和性があったのかもしれません。フルタイム勤務で乳児が居た時期は、授乳のために毎日お昼休みに自宅に帰っていました。スイスよりも最低賃金の安いフランス側に住んでいたので、育児・家事を手伝ってくれる人を雇う人件費負担は比較的軽かったと思います。子どもが熱や病気の時は、自宅とジュネーブの専門医と職場の行き来で一日に何度も国境を越えた日もありました。大変でしたが、職場ではフレックスタイムですし、男女問わず子どもの健康や教育のために親が行動するのは自然なことと受け止められている気がします。

戸田:私はILOの男親の産時休暇(Paternity leave)を利用しました。有給で最大4週間取得でき、1週間単位で分けて使えるので、産後の期間で柔軟に取れたのがよかったです。またILOからは子どもの扶養手当として月250フラン支給されています。健康保険は治療費の8割をカバーしてくれる職員健康保険基金(SHIF)に加えて、残り2割をカバーする任意加入のGPAFIという保険に加入しており、一律の保険料以外の自己負担はなく受診できています。怪我や病気になりがちな、乳幼児を抱えている世帯にとっては、突然の高額な医療費の不安がなくなるので助かっています。いまは平日の日中は在宅の妻が育児をしてくれているので、帰宅後や休日は積極的に家事・育児に関わっています。また我が家では「家庭内休暇制度」というものを設けて、年間12日間は夫婦でお互いに好きなときに自分のためだけの自由な時間を取れるようにしています。

野口:大変残念ながら、私が出産した頃はPaternity leaveはまだありませんでした。

松尾:そうですね。できたのは2000年代前半だったと思います。私のところも次男が生まれた後だったので結局使えませんでした。とは言えヨーロッパでの働き方は当時から魅力的でした。私は日本で働いていた頃は朝8時前から23時頃まで働く日も少なくなく、週末にも働くことがありました。ヨーロッパでは、基本的に私の勤務時間は9時から18時まで、有休もフルに使えます。国連での最初の転職では、日本でもらっていた給料に比べて絶対金額は下がったかもしれませんが、その当時の為替レートで計算すると、単位勤務時間あたりの給与はほぼ2倍になりました。

小林:働き方という点では、今の職場は男女や子供の有無などにかかわらず、誰もが仕事と私生活の両方を大事にしていて、18時までには職場を出るという文化が根付いています。子育て中の女性だけにやさしい制度があるというのではどうしても肩身が狭く感じてしまいますが、みんなが同じように私生活を大事にしているという風潮が、とても働きやすいです。また、上司は4日勤務ですが、昇進もしていますし、時短でも成果が認められる点は今のチームの好きなところで、こういった両立の仕方もあるのかと勉強になります。

松尾:私も日本にいたときはどうしても仕事優先になっていましたが、ヨーロッパでは家族・私生活とうまく両立しつつ働けています。

野口:ヨーロッパ全体として、私生活を大切にし、休暇はしっかり取るという社会的規範、共通認識がありますね。夏休みの78月は仕事がなかなか動きませんがそれも仕方ないとみんなが思っています。


4.これからの国際機関でのキャリアと子育てについて、小林さん、戸田さんが不安に思っていること、野口さん、松尾さんに相談してみたいことはありますか?

戸田:今一番の課題は、パートナーと自分の仕事で勤務地の折り合いをどうつけるかということです。先ほどお話したように、今は家族とは別居せずにすむ範囲で社会開発に関わる仕事ができればと思っており、話し合いながら決めていくしかないと思っています。

小林:私も勤務地をどうするかという点です。今後のキャリアのためにフィールドに出るタイミングを考えています。小さい子供を連れては大変かと思うのですが、一方で子どもの就学前にフィールドに行っておくほうがよいという先輩もいます。

野口:確かにフィールドでは家事や育児のための人を雇いやすいようですが、ジュネーブでは人件費の高さもあり簡単にはいかないかもしれません。フィールドから本部に来て自分でやらないといけないことが多く驚いたという同僚がいました。私の場合は、次男に自閉症があって、家族のために相棒も私も単身赴任は考えられませんでした。昇進を目指すにはフィールド経験が欠かせないと言われますが、家族との関係で折り合いをつけるしかないと思います。ILOではフィールドへのローテーションはシステム化されておらず、モビリティも限られています。本部・フィールドを問わず、空いたポストに対し競争するしかないのが実情です。

松尾:私の場合は、引越しを伴う転勤・転職の都度、妻が仕事を辞めてついて来てくれて、また、子どもが小さい頃はパートタイムで勤務時間50%で働いていました。国際機関も色々ありますが、フィールドオフィスにローテーションで赴任するという機関もあり、また、赴任地によっては、家族を連れて行くのが難しい場合もあるでしょう。家族を連れて行くか、配偶者の仕事をどうするか、現地で仕事を見つけられるか、子供の学校はどうしたらいいかなど、色々考えないといけないことがありますね。知り合いの中に、家族を連れてフィールドを何ヶ所も経験した後、子供が大きくなったところで、家族のためにローテンションの少ない違う機関・職種へ転職した人がいました。一般的に、フィールドオフィスへの赴任時に、配偶者が同行して職を見つけるのは簡単ではないかもしれませんね。


5.野口さん、松尾さんはお子さんの就学後、教育面でご苦労されたことはありますか?

松尾:初めはフランスのシステムで幼稚園から上がっていき、途中からジュネーブの私立校に入学させました。パリへの転勤を機にフランスのシステムで中学・高校くらいまで上がり、2011年にジュネーブに戻ってからまた以前と同じ私立校に入学させました。

子どもたちは、学校や普段の生活はフランス語を使います。妻の母語であるオランダ語と、日本語に加えて、学校では英語とドイツ語を学びました。家族の共通語はフランス語ですが、レストランに行っていろんな言葉を混ぜて会話していると周りの人は少し混乱するようです。ただ、次男は2歳になってからもなかなか言葉がでてこなかったので、少し心配しました。そんな時Amazonでジュネーブで暮らしたことのある国際結婚の夫婦が書いた”Raising Multilingual Children: Foreign Language Acquisition and Children”という本に出会いました。彼らの調査によると、家族の中に2つの言葉があると、1言語の場合に比べ6か月くらい言葉が出るのが遅れる、3つあるとさらに6か月遅れるということでした。これを読んで少し安心しました。

現在長男はスイスのドイツ語圏の大学で勉強しており、次男は高校は卒業しましたが、来年9月の大学入学までの1年間に、何か有意義な活動をさせようと、この9月からは英国に留学、1月からはフランス人の友人の紹介で職業経験をつむ予定です。

野口:長男・長女は幼稚園から高校までフランスの公立現地校でした。CERNに近いフランス(フェルネイ)の公立校(中・高)では複数のヨーロッパ語でその国の歴史や主要教科も学べるインターナショナルプログラムが提供されていて、うちの子達は英語のプログラムを受けました。それから英国の大学に進みましたが、英国籍のおかげで学費はその分安くなりました。今、長男は日本で結婚して英語を教えていて、娘はロンドンで働いています。自閉症のある次男はジュネーブから50kmくらい離れたところにある私立の特殊教育学校にずっと通っています。

長男と長女は高校まで日本語補習校にも通いました。送り迎えがなかなか苦労で、近所のご家庭とローテーションを組んで分担したりしていました。ジュネーブには短期赴任のご家族も少なくない一方、こちらで生まれ育った子達も居て、クラスの中での日本語力に開きがありますが、補習校では基本的には年齢で学年が上がっていきます。作文や発表会などの課題もけっこうあるし、外で日本語に触れる機会も限られるし、ついていくのは、手伝う親ともどもかなり大変だったと思います。ちなみに外国語としての日本語はフランスのバカロレアの選択科目に入っていて、補習校の劣等生でも良い点が取れ、平均点の足しになりました。一方インターナショナルスクールのバカロレアで日本語を選択すると水準が非常に高く大変と聞きます。

松尾:パリで働いていたときは、理解度に合わせて1年分を2年間かけて学べる日本語補習校に通わせていました。日本語の音読をたくさんさせるところがよかったと思います。ジュネーブに戻ってきてからも日本語補修校に通わせましたが、宿題が大変なのと、最終的には漢字が難しくなり、長男は中学2年、次男は小6でやめました。

戸田:お二人ともパートナーが外国人で、お子さんも外国で育てられてきた中で、それでもお子さんに日本語を学ばせようとされてきたのはどうしてですか。やはりご自身が日本人であるということが大きいですか。

野口:日本に帰ったときの親戚との会話など、実用面が大きいですね。でも、我が子に日本語を教えないという選択肢を考えなかったのかもしれません。上の二人には、私がボケて日本語しかわからなくなったら頼むよと言っています。

松尾:私のほうも、日本にいる親戚とコミュニケーションが取れるようにと、補習校は少しでも続けさせました。

野口:子どもの将来を考えると、配偶者が外国籍の場合以外でも、国籍をどうするかも重要な問題だと、あとから気づきました。日本は多重国籍が許されないので、日本国籍だけと割り切るのか、子どもが将来日本以外で生活する可能性を考えて、他の国籍が取れるようにするのか、といったことで生活設計が変わってくるかもしれません。


6.本当に貴重なお話をありがとうございました。読者で国際機関就職を志す人にメッセージがあればお願いします。

野口:日本での就職の仕方や働き方がすべてと思わず、世界に目を向けて外に出てきていただきたいと思います。

戸田:繰り返しになりますが、キャリアや家族に対する価値観は人それぞれです。ただし、国際機関でキャリアを積んでいくとなれば、仕事とそれ以外で大切にしていることとのバランスや折り合いが難しくなることもあります。少しでも本記事が参考になれば幸いです。

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