国際機関邦人職員インタビュー:世界貿易機関 矢野博巳さん

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 今回は世界貿易機関(WTO)のルール部(Rules Division)参事官の矢野博巳さんにお話を伺いました。関税をめぐる「貿易救済措置」を中心に、法律という専門を生かし、WTOにおける、「立法・行政・司法」に該当するような三方面に力を尽くしておられます。国際機関の中でもビジネス色が強いことが特徴的なWTO。欧米流のワークスタイルの魅力も交えて語っていただきました。

-現在の職務内容を教えてください。
-主にアンチダンピング、補助金相殺関税、セーフガードなどに関する仕事(※以下、「貿易救済措置」)をメインに取り扱っています。WTOの原則として、関税について加盟国内で協定を取り決め、これ以上関税を上げないというもの(関税譲許)がありますが、例外的な場合には国内産業を保護するために一時的に関税を上げてもよいとするこれらの措置は貿易救済措置と言われています。主要先進国も含めて多用されており、実はかなり強力なツールです。
☆各国の「三権分立」にたとえたWTOの機能
各国の「立法・行政・司法」にたとえると、以下のように説明できる。
 立法:現在のドーハラウンド(DDA)など、今ある協定の修正や新しい協定の策定に               関する交渉
 行政:既存の協定の遵守状況について、各国が議論する
 司法:貿易裁判所として、協定違反などに対する裁判を執り行う
○事務局は、どの国の利害とも中立的な立場から上記の機能を支援。
ルール部(Rules Division)は、少し珍しいのですが、3つの機能全てに関わっています。
立法面ではルール交渉、行政面からは貿易救済措置の履行状況に関する加盟国の議論をそれぞれ事務局・裏方としてサポートします。司法面に関しては貿易救済措置に関する裁判を行う際のパネリスト(裁判官)のバックアップを行います。現在ドーハラウンドは停滞していますが、私は行政面での「貿易救済措置」に関する議論のサポートに加え、司法面ではパネリストの補佐役をしています。たとえは大げさですが、後者は、日本で言う最高裁判所調査官に似た仕事です。

現在のお仕事の魅力について教えてください。 

 一言では難しいですが、WTOは他の人道系国連機関及びニューヨークの国連本部などとは異なり、ビジネス的色彩が強いので、相対的にPolitics (政治的事情)からかなり距離をとれることです。基本はビジネス的な視点ですので、例えば政治的な事情で反目しあっている国同士でも、まさにビジネスライクに議論できます。これは私の部の担当ではないですが、分かりやすい例を挙げれば、電子商取引に関する国際ルールのありかたについて各国が議論するときに、各国は自国の消費者のニーズや業者のあり方などのビジネス的な視点に沿って議論しますので、政治的な視点が直接出てくることは滅多にありません。これに対し人道関係の諸機関が扱う国際紛争や難民といった問題は、国際関係や各国の国内政治とも複雑にリンクするので、事務局の方々も大変ご苦労があると思っています。

専門性の必要性と面白さ
-WTOにお勤めになろうと考えたきっかけは何ですか。
-もともと通商の仕事に興味があり、1983年に経済産業省(当時の通商産業省)に入省しました。1998年に外務省に出向して在ジュネーヴ日本政府代表部に派遣され、そこで4年間日本政府の役人としてWTOに携わる機会を得ました。その4年間のうちにWTOに対する関心が高まり、現在の仕事に応募し採用されました。
最大の決め手は、ビジネス色の濃い、テクニカルな話題が多い点でした。先ほどの電子商取引の例にしても、各国の消費者のニーズ・取引されているもの・現在の取引形態などといった点についてよく勉強する必要があります。私の部でも、貿易救済措置についての知識がないと全く仕事になりません。その分野のエキスパートであることが求められます。 
以前のインタビュー (https://jsag-geneva.blogspot.ch/2015/10/blog-post_13.html) にて在ジュネーヴ日本政府代表部の嘉治美佐子大使が仰っていた「国際機関で仕事をするには専門性が必須」というのは全くそうで、そういう意味で専門性を活かす仕事はなかなか面白い世界だと感じています。
日本政府はジェネラリストが多いので、私もそのように動いていました。ただ私のカウンターパートであったアメリカやEUの外交官などと話をすると、専門家なので彼らはやはり専門的な知識をよく知っているんです。ジェネラリストはジェネラリストで面白いこともあるのですが、こうしたエキスパートと互角に議論することはどうしても難しいのです。その点寂しいと感じましたし、エキスパートとしての仕事は面白いのではないかと思ったことが、応募する直接の動機になりました。

-海外や国際機関全般で専門性を重視する傾向はやはり強いのでしょうか。
-国際機関によって求められる専門性の分野や幅や深さは変わってくると思いますが、基本的には専門性を重視する傾向は強いと思います。私の専門ではありませんが、例えば人道関係の仕事一つでも、ただただ現場で何となくお手伝いします、というのではもちろんダメで、ロイヤーも医者も要るし、バックグラウンドで国際関係を担当する人も必要になって来るものと思います。
ほとんどの国際機関は良くも悪くも欧米風のスタイルなので、自分の専門性がないとなかなか生き残ることはできません。実際、初めて会った同僚同士なら、一通りの挨拶を済ませた後に真っ先に「君の専門分野は何?」といった質問が出てきます。「ロイヤーです」「エコノミストです」「医者です」などの答えがないと、こちらではちょっと変なんです。
一方日本は、役所も民間企業もジェネラリストが多い傾向にあります。専門性とは違うシステムで日本の企業や役所は成り立っているからです。ジョブローテーションなどを通じ、幅広くいろいろなことを見られることが日本のシステムの良いところといえます。


-実際にWTOで働く中で、苦労した経験にはどのようなものがありますか。

-言い出すときりがないですよ()WTOに限らない話だと思うのですが、一つだけ挙げると英語です。単語や文法は当然ですが、そういうシンプルな問題以上に、例えば議論中の「クロストーク」に慣れることが大変です。広く言うとプレゼンテーション能力において苦労することが多いでしょうか。

☆クロストーク(cross talk)
相手が話している最中に被せて自分の意見を言う議論スタイル。欧米流の非公式な議論においてはほぼ必須となる。話し終わるのを待っていては、会話に入れないことが多い。また議論・段階ごとに意見がまとまっている必要はなく、途中で話題が厳密にもとに戻らなくても問題はない。みな、自分の意見をしっかり言うということを重視する。
外交官同士のフォーマルな議論ならお互い相手の話を待ってくれることもありますが、同僚同士・仲間内だと特に遠慮がないわけです。日本人はあまりクロストークの訓練を受けていないので、遠慮していると相手に入られてしまいます。さあ話そうと思った時にはもうその話題が終わってしまっていたりもしますね。相手の話をじっくり聞いて、一つ一つのテーマについて結論を出しながら進める傾向の強い日本人にとしてはなかなか落ち着かなく思えます。

各国による合意形成の難しさとその背景とは

-ドーハラウンドが難航している理由は何だと思いますか?
-色々な要因がありますが、よく言われるのは発展途上国と先進国の立場の違いです。
先進国、特にアメリカは貿易の世界で長らく力を持ってきたため、自国企業にとって有利なルール作りを行おうとする傾向にあります。一方発展途上国は概してdefensiveな立場で、規制・ルールを増やすことには消極的です。WTOの交渉ではコンセンサスが必要なので、21世紀型の新しいルールを作ろうとする先進国側と、途上国に優しい、あるいは有利なルールを求める途上国側とでは、なかなか合意に至ることが難しいのが現状です。
各国の立場の相違は、ある意味では哲学の相違とも言えるので、どちらが正解ということではありません。また、WTO事務局は加盟国主導のスタンスをとっていますので、交渉の場のセッティングや統計資料の作成などはしますが、独自の方向性を自ら打ち出して交渉を促す、といったことは行いません。加盟国間で議論に議論を重ね、それでもどうしても合意に至らない事項について、加盟国側から事務局長に妥協案の提示を求められることは稀にはあるものの、事務方はあくまで中立的な裏方としてのサポートに徹します。今後の方向性も、99.9%加盟国次第と言っても過言ではないでしょう。

-新規な議論テーマは主に先進国側・途上国側のどちらから提起されることが多いですか。        
-かつてはアメリカ・EC(当時)などある程度力のある国が主導し途上国側がそれになんとなく追従するパターンが多かったのですが、最近は中国、インド、ブラジルをはじめ途上国から提起されることも増えてきています。
GATTが発展解消されWTOができた1995年のウルグアイラウンド頃までは、アメリカとEC(当時)の影響力が強かったため、途上国側も例えば「これだけもめている米ECが納得したならそれでいいか」とある程度流れで追認してくれることもありました(いわゆるブレアハウス合意など)。しかし経済発展に伴い、途上国もだんだん力を持ち始めてきました。さらに交渉における振る舞い方を理解してきているからか、アメリカとEUの間でようやく合意に至った案でも、あっさり覆すこともあります。途上国が意見を積極的に言うようになったことはもちろん良いことですが、その結果加盟国間の合意形成はより難しくなってきているのも事実です。

自分のやりたい仕事を世界中で探す 
最後に日本の学生に対してメッセージをお願いします。
-ご質問にお答えする前に「日本で仕事をする」と「海外で仕事をする」の二つの選択肢から選べるとしたら、あなたはどちらを選びますか?
かつてエジプト人とトルコ人の親しい同僚に、「自国の優秀な学生の中でいい仕事があれば海外で働いてもいいと考える学生はどれくらいいるか」という質問をしたことがあります。エジプト人の同僚曰く「200%」。少々ジョークがきつい回答ですが、優秀な学生とはエジプトの外でも仕事を見つけられるように勉強を重ねてきた学生のことを言うそうです。トルコ人の同僚は「99.5%」。宗教上等の理由でトルコを離れたくないという学生は若干居るかもしれないという以外はエジプト人の同僚と答えが同じでした。彼らの国の優秀な学生には「自国でなければダメ」という考え方はないのです。ヨーロッパでは別の文脈ですが結果は同じですね。例えばスイスの大学(例えばジュネーヴ大学)を出たからといってスイスで職探しをする必然性はありませんよね。
これは面白い話で、日本の大学、特に法学部で同じ質問をすると、おそらく99.9%の学生が「日本から出るなんて考えたこともありませんでした」という答えになるでしょう。日本にいると見渡す限り日本の学生で、皆日本の会社に就職しているわけですから、ロンドンやニューヨークで探すといった考え方はあまりしないでしょう。また英語が不得意だとか、幸運にも、優れた企業が自国に多いといった事情があるのかなとも思えます。
ここ10年間ほどの世界の流れはグローバル化です。発展途上国の人々が経済発展により経済的に余裕ができ、英語を学び、海外に出ることができるようになってきています。その中で、日本の学生の方には「自分のやりたい仕事を世界中で探せばいい」というメンタリティーのもと行動されてはどうかということをお伝えしたいですね。家庭の事情などの制約要因がなければ、世界中でやりたい分野の仕事を見つければよいと思います。東京で気に入った仕事がなければロンドンやニューヨークで探してもいいでしょう。半分は英語能力の問題かもしれませんが、残りの半分は発想の問題です。絶対に日本(あるいは東京)でなくてはダメということではなく、いい仕事が見つかったからここ(ジュネーブなど)で働いているというだけのことです、といった姿勢も選択肢として考えてみてください。
聞き手:橋本葵 (ジュネーブ大学)

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