国際機関邦人職員インタビュー 世界保健機関(WHO) 渡部明人さん

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世界保健機関(WHO)のUHC2030事務局スタッフとしてご活躍中の、渡部明人さんに、お話をうかがいました。渡部さんは、社会医学系専門医、保健財政・保健外交を専門とされ、北里大学医学部(2008年卒)から国立国際医療センター戸山病院・国立国際医療研究センター病院での研修、JICA、外務省などを経て、2015年からWHOで勤務されています。


聞き手: 吉川健太郎(WHO元インターン/京都大学医学部)

(吉川)何故臨床医以外の道を選ばれたのですか。
(渡部)医学部2年生の時、フィリピンのスラム街で診療補助のボランティアをしたのですが、その時医師として目の前に運ばれてくる貧困層の患者さんを助けているだけでは根本的な問題の解決にならないと感じました。この経験から病気の社会的な要因を取り除きたいと思い、この道を選びました。学生時代はIFMSA(International Federation of Medical Student’s Associations)で4年間国際役員もしており、この頃から公衆衛生をしたいと考えるようになりました。また医学部6年生の時にはガーナ大学病院への臨床留学・WHO本部でのインターンシップや世界保健総会への出席などを通してこうした場所で仕事がしたいと思うようになりました。

(吉川)大学卒業後どのような経歴を辿られましたか。
(渡部)後期研修医1年目にJICAでバヌアツ共和国の保健省で公衆衛生政策に関われる案件を見つけ、1年半公衆衛生医師として働きました。その後ロンドン大学の公衆衛生熱帯医学大学院(LSHTM)と経済政治科学大学院(LSE)のジョイントコースである保健政策計画財政修士課程(HPPF)で、医療経済学や保健財政学を中心に学びました。
アン・ミルツLSHTM副学長の紹介で、タイの政府系シンクタンクである国際保健政策プログラム(IHPP)の短期研究員として、途上国のヘルスプロモーション財政の研究に従事し、その後、外務省国際保健政策室の外務事務官として働きました。外務省では、国連でのSDGs設定の議論や二国間援助において日本がユニバーサル・ヘルス・カバレッジ(UHC)の推進を主導するための調整を担当しました。2015年からJPOとしてWHO本部の保健財政ガバナンス部門に派遣され、2017年からWHO・世界銀行が共同で運営するUHC2030事務局の正規職員として働いています。

(吉川) そのUHC2030事務局では具体的にどのようなことをされているのですか。
(渡部)世界各国の市民社会や各種グローバルイニシアティブと連携してUHCのアドボカシー、パートナーシップに加盟する各国・機関のUHCナレッジの蓄積・共有、国連ハイレベル政治会合や来年の国連ハイレベルUHC会合に向けた準備などの国際保健外交、この3つが現在の主な仕事になります。ただ、UHC2030事務局はWHO職員が8人、世界銀行の職員が5人と人数が少ないので専門以外の領域やオペレーション業務にも臨機応変に対応する必要があります(笑)

(吉川)臨床を離れてこの道に進まれるタイミングはどうお決めになりましたか。
(渡部)それは難しい問題で最後まで悩みました。どのような経験を積むかという判断は、目指す仕事によっても変わってくると思います。特定の病気に関する分野とか医療サービスに近い分野というのは医療のバックグラウンドが重視されるため、専門医資格を取る必要なども出てくるかもしれません。
ただ私の場合は、保健システムの中でも保健財政やガバナンスなど医療サービスから離れた分野に関心があったため、その分野での経験が求められました。それは臨床医経験ではカバーできないので、途上国で政策支援をしたり国連外交に携わったりといったことがより重要になってくると思い、そちらの時間を優先しました。
なので、タイミングというのは自分のキャリアがいつどの方向に向くかにもよって決めるのが良いかなと思います。

(吉川)初期研修病院の国立国際医療センターは、どのような病院でしたか。
(渡部)国際保健に興味がある人の比率が、他の病院より多かったように思います。中心的というわけではありませんが、そうした経験を持つ方が何人かいらっしゃいました。また研修中は同じく国際保健やヘルスケアリーダーシップに興味がある同僚や企業の方々と集まって院内外で勉強会をしたりすることもありました。また、保健医療科学院の地域医療研修プログラムに参加させてもらったり、臨床研修の最終研究に病院の医療費未払い問題の分析をさせてもらうなど、自由度の高い病院だったと思います。

(吉川)若手が国際保健の道を進む上で必要なものはなんでしょうか。
(渡部)継続的な転職がキャリアップに必須な不確実な世界で、かといっていつになったら次のポストが取れるかわからないなど不安があります。特に臨床医であれば、激務であっても医局や病院に所属している限りはそれなりにキャリアパスや収入の見通しもあるかとおもいますが、それを離脱して継続的に国際機関で活躍することを目指す場合、自分でモチベーションの維持・戦略的なキャリア計画・ネットワーク形成をしていくことが必要です。
若いうちに途上国の現場の実情を自ら体験するなどして、大きなパッションに基づいて自分のライフワークにしたい課題がある程度見えてこないと、歳をとるにつれて社会的地位や家族の事情など考慮すべき要素も増えてくるので自信を持って続けていくことが難しいかと思います。

(吉川)渡部さんご自身はどのようにそのパッションと自信を得たのでしょうか。
(渡部)フィリピンでのボランティア活動を契機に、学生の頃から継続的に国際保健活動をやっていた上、研修医時代は医療センターの中や外で政策の勉強会などを仲間としていたので、その中で自らが一生かけて取り組みたいUHCという課題がみつかり、今でもパッションと自信を持ち続けることができているのかと思います。
私が思うに、最初の10年の国際保健キャリアとは双六のようなものです。若いうちにしないといけないことはある程度決まっています。医療従事者になってはじめは皆さん臨床研修をすると思うのですが、その後マスター(修士号)を取るのかPhD(博士号)や臨床の専門資格で専門分野を掘り下げるかあるいは途上国でどれくらい専門分野の経験を積むか、順番は違うにせよこれらをクリアしないとそもそも国際保健キャリアのスタート地点に立てません。それぞれのプロセスに進むにあたっては当然仕事や家族の事情等もあると思うので、時間をやりくりしていきながら、1つずつどのタイミングでどれをクリアして自分の市場価値を徐々に高めていくかを計画的に考えなければならないですね。

(吉川)マスターやPhDを取得するための学校はどのように選びましたか。
(渡部)キャリアを進めて行くとプロフェッショナルなインナーサークルからの評価でポジションをとることも出てきます。アカデミックネットワークは特に海外の大学院(マスター)を選ぶ際に自分がどこのアルムナイ(卒業生)ネットワークに所属したいかも含めて慎重に考え、途上国の医療経済分野に強いLSEとLSHTMのジョイントコースを選びました。もちろん何の専門分野を勉強したいか、その分野の権威が大学院にいるかは大前提ですが、
アルムナイネットワークを活用することも国連で働く場合には重要になってくると思います。PhDはどこの大学うんぬんよりも、研究論文の質がネックになるので、自分の希望する研究内容をちゃんと指導してもらえる指導教官がいるところを選ぶことが重要です。

(吉川)今後の展望について教えていただけますでしょうか。
(渡部)国際機関では転職がキャリアアップの前提であり、キャリアのサイクルは3〜5年と言われています。一度国連に入ったら5年くらい同じところにいて結果を出すというのがいいと上司や同僚からも言われています。私は外務省時代からSDGsの交渉に携わりグローバルな枠組み・ガバナンスの構築の仕事をしていて、現在はパートナーシップの事務局としてそれをインプリメント(実施)しています。交渉段階から関わってきたこの仕事はある程度のめどがつくまでやり切りたいと思っています。
ただ、今後国連での幹部職員を目指すのであれば、グローバルな経験だけではなく途上国での現場経験や成功体験も必須なので、次の転職はカントリーレベルでの政策立案・事業実施に携わることを希望しています。
現場での成功体験無しに、自信を持ってグローバルな政策をリードすることはできないですからね。国連の上の方々も現場を経験し、机上の空論ではなくソリッドなコアを持って議論されています。
私はタイミング的に先にUHCの国際的な枠組みを作るという仕事を優先してきましたが、カントリーレベルであると5〜10年結果が出るのに時間がかかるので、しばらくそうしたレベルでUHCに関する実績を積んでいきたいと考えています。

(吉川)これまで様々な機関で様々なご経験をなさってきたと思うのですが、一番楽しかったことはなんですか。
(渡部)何を楽しいと思うかは個々人の性格によると思うのですが、私は何かを新しく作って構築していくのが好きなので、JICA、外務省、WHO、UHC 2030のそれぞれでゼロベースに作り上げていった経験は面白かったです。また、所属組織は違えど同じテーマを似たようなステークホルダーと継続的に仕事ができたことは、物事を多面的な視点から取り組むことができた大変貴重な経験でした。

(吉川)最後に、私と同じく国際機関に興味がある若者に向けて一言お願いいたします。
(渡部)自分がやりたいことも大事ですが、そこに自分のバリューがあるかどうかもきちんと考えなければならないと思います。熱いパッションとこうした冷静な戦略が国際保健には重要です。それらのいずれかを失ってしまうと価値のある仕事ができなくなってしまうと思います。熱いパッションがないと続けていくのは難しい分野ではありますが、ただ情熱を持って推し進めるだけではできないときもたくさんあるので、冷静に戦略を立てて筋道を立ててやっていくという方法と、その時々に適切なパートナーを見つけてやっていくという方法、この2つを駆使して進んでいってもらえたらなと思います。

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