国際機関邦人職員インタビュー:国際連合児童基金(UNICEF) 兼高佐和子さん
今回のインタビューではJPOとして UNHCRに勤務後、2017年よりUNICEFジュネーブ事務所のCorporate Fundraising and Partnership部門に赴任されている兼高佐和子さんにお話を伺いました。
JPOに至る経緯を教えてください。
大学時代にアジア・アフリカでの識字教育や、教育制度作りについて勉強していました。指導教官もユネスコの本部・フィールドオフィスで数十年の勤務経験があったことなどから、フィールドトリップで途上国の教育現場などをみる機会がありました。国連で働きたいという考えを当時持っていたわけではなく、大学卒業後は民間企業で世の中の仕組みを理解して、専門性を身につける仕事につきたいと考えていました。ただ、民間企業の仕事の中でも、ビジネスを通して、国際的な問題に取り組める企業に入りたいと思っていました。卒業後、民間企業に就職し、多国籍な環境で、広報やマーケティングの仕事する機会に恵まれました。その後、ロンドンでの大学院生活を経て、駐日英国大使館でロンドンオリンピックの日本での渉外・マーケティングを担当し、民間企業から資金などの協力をしていただき、英国の魅力を伝えるプロジェクトを行う仕事をしていました。こういった仕事を続けている中でも、自分のコアバリューとして、渉外やマーケティングという自分の専門性を活かして、過酷な環境にいる人たちの教育ひいては人道支援に従事する仕事に関わってみたいという思いがずっと心の底にあり、いつか国連で働いてみたいという思いが徐々に強くなってきました。また、二国間関係を軸に仕事をしていた中で、よりマルチなアプローチのできる国連機関での仕事に興味を持ち始めました。そんなときに、WFPの東京事務所で渉外のコンサルタントを募集していて、チャレンジしてみたところ、同僚もとても魅力的な人が多くて、仕事がとても面白く、このまま国連で働いていきたいと思い、JPOを受けました。
UNHCRではどんな仕事をされてたんですか。
コペンハーゲンにある民間企業との連携を推進する部署で、民間企業、基金、資産家などにUNHCRの活動に共感してもらい、資金を出していただいたり、サポートをしていただくための渉外の仕事をしていました。
海外への出張も多かったそうですね。
主に任された仕事は大きく分けて2つあって、一つ目がUNHCRのドナーにすでになっている企業・基金への渉外担当として、さらにUNHCRのファンになってもらい活動をサポートしてもらう仕事。もう一つは、UNHCRは先進国に民間連携を推進するナショナルコミッティや資金調達部門の事務所があるのですが、こういった先進国の事務所で、実際にファンドレイジングをするための戦略アドパイスや、プロポーザルの作成、調整業務をしておりました。そのうちの一つ目の仕事内容に関連して、私はアメリカの大きな基金の渉外を担当していたのですが、フィールドを中心に出張の機会が多くありました。ドナーが興味を持っている分野のプロジェクトを見てもらって資金拠出を検討してもらう事や、ドナーが資金援助した現場を実際に見てもらい、効果を実感してもらったりしていました。そういった機会にUNHCRのフィールドでの強みと、自分も関わった仕事が実際に役に立っているのを目にすると、苦労も吹き飛びました。ヨルダンのシリア難民に向けた女子教育の現場を視察に行った際に、10-12歳の女の子たちが将来の夢で「英語の先生になりたい」「お医者さんになりたい」と言っているのを聞いた時には、心からこの仕事をしていて良かったと思いました。
ヨルダンのザータリ難民キャンプにて。UNHCRが行っている女子児童向けの教育プログラムに参加して将来の夢を語ってくれた子どもたち。(撮影は兼高氏本人)
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難しい交渉などもありましたか。
現場が求めていることと、ドナーが求めていることにギャップがあることがあり、それを埋めるにはどうしたらいいかは悩みましたね。ドナーがやりたい事、やって欲しい事と、現場でプロジェクトを動かす側にとってのプライオリティーが違う場合がたくさんありました。
どうやって対応したんでしょうか。
そのギャップを埋めるためには、いかにフィールドオフィスのシニアなスタッフにドナーに対して話をしてもらうように説得するか、短くてもインパクトのあるストーリーをできるだけ伝えるにはどうすればいいかを、いつも考えていました。でも、今でもこれという答えは出ておらず、探し続けているところです。
他にどのような悩みがありましたか。
あとはレポーティングの問題ですね。企業が求めている具体的な数字が入ったレポートと、フィールドが出せるレポートに乖離がある事が往々にしてあります。例えば、企業はこのお金で何人の命が救われたという数字を求めますが、一つのプロジェクトに複数のドナーがお金を出している事が多いので、特定のドナーが出したお金がどこの地域の何人に実際に使われたかを数字にするのは、とても難しいのです。その分、できるだけ具体的な活動の様子をビデオでとったり、実際の受益者の声をもとしたにストーリーを作ったりしました。あとは、例えば日本のドナーに対しては現場で働いている邦人職員からのメッセージを伝えたりしました。そうやって、数字で出せない部分を、エモーショナルな面でカバーする努力を心がけていました。
二つ目の役割として、ファンドレイジングに関する戦略のアドバイスというのはどういった事をされたんですか 。
国連機関全体としてファンドレイジングや、マーケティングなどの分野には欧米人が多いと思うのですが、UNHCRでもコペンハーゲンにある民間連携の本部事務所にはアジア出身の職員は私一人しかいませんでした。それもあって、アジアのフォーカルポイントの役割を任されていました。実際には、ファンドレイジング戦略のサポートや、UNHCRに興味をもっている企業に対して、フィールドと連携してプロポーザルの作成などを担当しました。
UNHCRでの経験は現在のUNICEFでのポストを獲得するのにも役立ちましたか。
とても役立ちました。UNHCRでの経験が無ければ、今のUNICEFでのポストを公募で獲得することは難しかったと思います。今の仕事では、世界中のユニセフ協会の企業との連携のファンドレイジングをサポートする仕事に携わっていて、私は主にアジアとヨーロッパを担当しています。もちろんUNHCRとUNICEFでやり方は違う面もありますが、企業へのアプローチの仕方や、国連という大きな組織の中で、世界中に散らばる人たちとチームワークを組んで結果を出す働き方など、今までの経験は生きていますね。
JPO期間中に成果を出すために心がけたことなどありますか。
とにかく仲間を多くつくることですね。私の仕事は、自分の部署内だけではなく、フィールド事務所、プログラムやコミュニケーションなど他の部署の職員ともやり取りが多い仕事でした。なので、その人たちにとって、自分が付加価値を与える事ができる人だと思ってもらえるように、一緒に取り組んでいる仕事の意義を日々話すように心がけていました。あとはチームワークの成果を強調するように心がけていました。例えば、ミーティング中に、自分の成果を全面的にアピールするというよりは「同僚の彼女や他チームの誰々がいたからこそ、この成果を出すことができた」というチームとしての成果を強調する話し方をしていました。結果的に、同僚のみんなからも一緒に働きやすいと思ってもらえて、上司や同僚から良い評価をもらえる事に繋がったと思います。
今後のキャリアプランを教えてください。
まだユニセフに着任して数週間ですが、ユニセフは民間連携の分野ではNo1の国連組織であることもあり、知識のシェアや、ブランド価値を高めるためのガイドラインが非常にしっかりしていると思います。同僚も専門性の高い人が多いです。大学時代に途上国での教育支援などを勉強してきて、渉外やマーケティングの専門性を活かして、今UNICEFでの仕事に就いたことで、自分の原点にあったものに10年位かけて戻ってきたような感じがしています。なので、今しばらくは国連機関でのこの分野のエキスパートになりたいと思っています。それと、この分野はアジア人がほとんどいない分野なので、この分野で自分も知識をつけて、いずれはアジアに戻って、学んだ事を還元できればと思います。
民間企業での経験は国連機関でどのように活かせると思いますか?
人道支援、開発など国際協力のいわゆる王道の分野だけではなく、日本人は国連の人事、財務、サプライチェーンなどの分野でも強みを発揮できるのではないかと思います。これらの分野で、グローバルな環境で働いている経験のある日本人は多いと思いますし、私もこういった分野で活躍されている日本人の優秀な国連職員の方々に助けられてきました。民間企業でこういう分野に経験がある人が、もっともっと国連に挑戦してくれれば、日本人の国連職員も増えていくのではないでしょうか。私自身も、今のところはまだ民間の経験の方が長いですが、民間で培った経験が無ければ、今の環境での仕事を楽しく充実してすることができなかったと思っています。
UNHCRの支援のもと、ナイジェリアからの難民とカメルーンの小学生たちが通うナイジェリアの小学校にて。難民も地元の子も皆一緒に教育を受け、元気に遊んでいる姿がとても印象的でした。(撮影は兼高氏本人)
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