国際機関邦人職員インタビュー:国連人道問題調整事務所(UNOCHA) 沖田陽介さん

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今回の国連職員インタビューでは、国連人道問題調整事務所(UNOCHA)ジュネーブ本部・ Field Coordination Support Sectionに勤務し、自然災害に対するレスキューチームの調整に携わっている沖田陽介さんにお話を伺いました。

2015年ネパール地震でOCHA先遣隊として現地に

-JPOになるまでの経緯を教えてください。

2001年に京都大学法学部を卒業後、すぐにJICAに就職しました。JICAに就職後、2番目に配属された部署が国際緊急援助隊事務局でした。災害対策に関しては全く専門ではありませんでしたが、緊急援助隊事務局は体力がある人が配属される事が多く、私も柔道をやっていたので体力を見込まれて配属されました(笑)。しかし、ちょうど配属された期間はスマトラの津波、イランのバム地震など自然災害が多い時で、いろいろと経験する事ができ、幸か不幸か専門性が身についてきました。また、International Search and Rescue Advisory Group (INSARAG) (国際捜索救助諮問グループ)という各国の捜索救助チームのネットワークがあり、日本からは人事の都合で毎年新しい人が会議に参加する一方、海外からは10年、20年の経験がある、この分野に詳しい専門家も参加していました。私自身も会議に参加しましたが、日本には専門家がいないのがとても悔しく思い、私はこの道で生きていこうと決めました。
JICAを退職してオーストラリアで外交・国際関係学の修士号を取得後、JICAの国際緊急援助隊事務局での専門嘱託、OCHAのアジア太平洋事務所でのインターン、JICAインドネシア事務所やセントルシア事務所での防災に関する企画調査員などを経て、今のJPOに至りました。

-現在の仕事について教えてください

今はOCHAField coordination support sectionで、INSARAGの事務局の副担当と、自然災害が起きた時に数名のチームを派遣してニーズアセスメントと国際捜索救助チームの調整を行うUnited Nations Disaster Assessment and Coordination (UNDAC) (国連災害評価調整チーム)のアジア地区のfocal pointとして仕事をしています。

RDCスタッフ。左から二人目が沖田氏
-実際に災害現場に行くこともありますか。
実際に災害が発生した時は現地に行って、捜索救助チームの調整をします。最近ですと2015 年にネパールで現地に行きました。地震が起きた時にはちょうど出張でバンコクに来ており、地震発生の翌日にはOCHAの先遣隊としてバンコク事務所の職員とともにネパールに入りました。そこで、空港にReception Departure Center (RDC)と呼ばれる支援の受け入れ窓口を立ち上げる仕事を任されました。
空港に一人で残り、空港当局や空港警察に必要性を説明して窓口を立ち上げようとしましたが、空港内も混乱していて誰も相手をしてくれませんでした。いろいろ歩き回って最終的に空港に併設された病院にたどり着き、たまたま女医さんに事情を説明したところ、空港当局担当者のところまで連れていってくれて、ようやく話をすることができました。警察から許可を得るのにも時間がかかりましたが、8時間位かけて窓口を設置する事ができました。そしてその後一週間くらい24時間の対応をするため空港で寝泊まりをしていました。
そこの窓口で、医療、テント、衛生などありとあらゆる全ての国際援助チームの登録をします。我々の役割は今ネパールにどれだけの国際チームがいるかを把握し、それらのチームを医療だったらWHO、捜索救助だったらOCHAの調整の傘下にいれることです。そして、ネパールの時にはカトマンズを20くらいのセクターに分けて、国ごとにレスキューチームを割り当てました。

現地到着後すぐに、レスキューフェーズ終了のタイミングを計る

-レスキューチームの調整をする上でどのような事が重要ですか。

RDCでのブリーフィング(右端が沖田氏)
我々がレスキューチームの調整の専門家として、現地に到着後直ちに考えるのが「いつレスキューフェーズを終わらせるか」ということです。地震発生後、要救助者の生存可能性は72時間~96時間までが高く、それ以降は急激に低下するとされています。それにも関わらず、レスキューチームが1週間、10日と活動をし続けると、その段階でより必要度の高い医療チーム、シェルターチームなどが現地に入って来れなくなってしまいます。また、要救助者の生存可能性がゼロに近いのにも関わらず国際捜索救助チームを派遣するよりは、むしろ 資金面の援助などの方が被災国にも喜ばれるかもしれません。そのためにはレスキューフェーズが終わったことを宣言して、世界に発表しなければなりません。

一方、被災者の心情を考慮すれば、レスキューフェーズの終了を宣言することは、被災国政府にとっては難しい判断が求められます。生存者の救出をあきらめたとも受け取られかねず、被災者の家族から非難をされる恐れもあります。しかし、レスキューフェーズの終了は必ず必要なことです。さもなければ不必要なレスキューチームがどんどん来てしまします。
ネパール地震の際は、我々の到着の翌日から、いつレスキューフェーズを終わらせるかの話し合いをネパール政府と始めていました。最後の生存者は震発生5 日後に救出され、8日後には国際捜索救助チームに対して帰国の準備を依頼するレターを政府が発出しました。また、地震発生後3日目時点ですでに諸外国に対し「現時点で出国していない捜索救助チームは派遣をとりやめてほしい」という政府の声明が OCHA を通じて発出されました。 一般的には遅くとも災害発生一週間後くらいには海外からの捜索救助隊の到着を止めるべきで、そこから先は医療などの方がよりニーズが高くなります。そういう意味で、その時点で何のニーズが高いのかを評価し、全体を調整するのがOCHAの仕事で、私はレスキューの調整を担当するものとして、いつレスキューフェーズを終わらせるかをまず初めに考えますね。

日本人として何か強みを感じる事はありますか。

そうですね、日本は災害が多い国で支援をした経験と受け入れた経験の両方があります。ですから被災国の気持ち、支援を受け入れる国の気持ちもなんとなくわかります。支援国、被災国の立場をある程度理解できている事は今の仕事にとても重要だと思っています。

自然災害の被害が集中するアジアでの対策に貢献したい

-JPOの後はどうされる予定ですか。

今の部署でもっと専門性を追求するというのも一つの選択肢ですが、いずれにしてもアジアで起きている自然災害対策に貢献したいですね。現在、多くの国際機関、世界中が中東やアフリカでの紛争災害、難民問題などに注目していますが、自然災害による死者の8割以上はアジアに集中しています。自然災害をずっとやってきたものとして、また自分自身もアジア出身のものとして、OHCAに限らず、アジアで起きている自然災害、防災対策に貢献できる仕事をしたいと思っています。

-最後にJPOを目指す人たちにメッセージをお願いします。
何が将来に繋がるかはわかりません。私自身も大学時代は法律を勉強していましたが、たまたまJICAの国際緊急援助隊事務局に配属され、今に至っています。キャリアの初めからいきなり国際機関は無理だしJPOも職歴が必要です。最初から第一希望にこだわらず、とにかくチャンスがあったら経験、職歴を積むことで、その中から新たな発見も出て来ます。ですからぜひいろんな経験を大事にしてほしいと思います。

インタビュー後に 右:沖田氏、左:板橋(聞き手)

聞き手:板橋広宣 (Graduate Institute of International and Development studies)




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