国際機関邦人職員インタビュー 世界保健機関(WHO) 渡部明人さん

世界保健機関(WHO)のUHC2030事務局スタッフとしてご活躍中の、渡部明人さんに、お話をうかがいました。渡部さんは、社会医学系専門医、保健財政・保健外交を専門とされ、北里大学医学部(2008年卒)から国立国際医療センター戸山病院・国立国際医療研究センター病院での研修、JICA、外務省などを経て、2015年からWHOで勤務されています。


聞き手: 吉川健太郎(WHO元インターン/京都大学医学部)

(吉川)何故臨床医以外の道を選ばれたのですか。
(渡部)医学部2年生の時、フィリピンのスラム街で診療補助のボランティアをしたのですが、その時医師として目の前に運ばれてくる貧困層の患者さんを助けているだけでは根本的な問題の解決にならないと感じました。この経験から病気の社会的な要因を取り除きたいと思い、この道を選びました。学生時代はIFMSA(International Federation of Medical Student’s Associations)で4年間国際役員もしており、この頃から公衆衛生をしたいと考えるようになりました。また医学部6年生の時にはガーナ大学病院への臨床留学・WHO本部でのインターンシップや世界保健総会への出席などを通してこうした場所で仕事がしたいと思うようになりました。

(吉川)大学卒業後どのような経歴を辿られましたか。
(渡部)後期研修医1年目にJICAでバヌアツ共和国の保健省で公衆衛生政策に関われる案件を見つけ、1年半公衆衛生医師として働きました。その後ロンドン大学の公衆衛生熱帯医学大学院(LSHTM)と経済政治科学大学院(LSE)のジョイントコースである保健政策計画財政修士課程(HPPF)で、医療経済学や保健財政学を中心に学びました。
アン・ミルツLSHTM副学長の紹介で、タイの政府系シンクタンクである国際保健政策プログラム(IHPP)の短期研究員として、途上国のヘルスプロモーション財政の研究に従事し、その後、外務省国際保健政策室の外務事務官として働きました。外務省では、国連でのSDGs設定の議論や二国間援助において日本がユニバーサル・ヘルス・カバレッジ(UHC)の推進を主導するための調整を担当しました。2015年からJPOとしてWHO本部の保健財政ガバナンス部門に派遣され、2017年からWHO・世界銀行が共同で運営するUHC2030事務局の正規職員として働いています。

(吉川) そのUHC2030事務局では具体的にどのようなことをされているのですか。
(渡部)世界各国の市民社会や各種グローバルイニシアティブと連携してUHCのアドボカシー、パートナーシップに加盟する各国・機関のUHCナレッジの蓄積・共有、国連ハイレベル政治会合や来年の国連ハイレベルUHC会合に向けた準備などの国際保健外交、この3つが現在の主な仕事になります。ただ、UHC2030事務局はWHO職員が8人、世界銀行の職員が5人と人数が少ないので専門以外の領域やオペレーション業務にも臨機応変に対応する必要があります(笑)

(吉川)臨床を離れてこの道に進まれるタイミングはどうお決めになりましたか。
(渡部)それは難しい問題で最後まで悩みました。どのような経験を積むかという判断は、目指す仕事によっても変わってくると思います。特定の病気に関する分野とか医療サービスに近い分野というのは医療のバックグラウンドが重視されるため、専門医資格を取る必要なども出てくるかもしれません。
ただ私の場合は、保健システムの中でも保健財政やガバナンスなど医療サービスから離れた分野に関心があったため、その分野での経験が求められました。それは臨床医経験ではカバーできないので、途上国で政策支援をしたり国連外交に携わったりといったことがより重要になってくると思い、そちらの時間を優先しました。
なので、タイミングというのは自分のキャリアがいつどの方向に向くかにもよって決めるのが良いかなと思います。

(吉川)初期研修病院の国立国際医療センターは、どのような病院でしたか。
(渡部)国際保健に興味がある人の比率が、他の病院より多かったように思います。中心的というわけではありませんが、そうした経験を持つ方が何人かいらっしゃいました。また研修中は同じく国際保健やヘルスケアリーダーシップに興味がある同僚や企業の方々と集まって院内外で勉強会をしたりすることもありました。また、保健医療科学院の地域医療研修プログラムに参加させてもらったり、臨床研修の最終研究に病院の医療費未払い問題の分析をさせてもらうなど、自由度の高い病院だったと思います。

(吉川)若手が国際保健の道を進む上で必要なものはなんでしょうか。
(渡部)継続的な転職がキャリアップに必須な不確実な世界で、かといっていつになったら次のポストが取れるかわからないなど不安があります。特に臨床医であれば、激務であっても医局や病院に所属している限りはそれなりにキャリアパスや収入の見通しもあるかとおもいますが、それを離脱して継続的に国際機関で活躍することを目指す場合、自分でモチベーションの維持・戦略的なキャリア計画・ネットワーク形成をしていくことが必要です。
若いうちに途上国の現場の実情を自ら体験するなどして、大きなパッションに基づいて自分のライフワークにしたい課題がある程度見えてこないと、歳をとるにつれて社会的地位や家族の事情など考慮すべき要素も増えてくるので自信を持って続けていくことが難しいかと思います。

(吉川)渡部さんご自身はどのようにそのパッションと自信を得たのでしょうか。
(渡部)フィリピンでのボランティア活動を契機に、学生の頃から継続的に国際保健活動をやっていた上、研修医時代は医療センターの中や外で政策の勉強会などを仲間としていたので、その中で自らが一生かけて取り組みたいUHCという課題がみつかり、今でもパッションと自信を持ち続けることができているのかと思います。
私が思うに、最初の10年の国際保健キャリアとは双六のようなものです。若いうちにしないといけないことはある程度決まっています。医療従事者になってはじめは皆さん臨床研修をすると思うのですが、その後マスター(修士号)を取るのかPhD(博士号)や臨床の専門資格で専門分野を掘り下げるかあるいは途上国でどれくらい専門分野の経験を積むか、順番は違うにせよこれらをクリアしないとそもそも国際保健キャリアのスタート地点に立てません。それぞれのプロセスに進むにあたっては当然仕事や家族の事情等もあると思うので、時間をやりくりしていきながら、1つずつどのタイミングでどれをクリアして自分の市場価値を徐々に高めていくかを計画的に考えなければならないですね。

(吉川)マスターやPhDを取得するための学校はどのように選びましたか。
(渡部)キャリアを進めて行くとプロフェッショナルなインナーサークルからの評価でポジションをとることも出てきます。アカデミックネットワークは特に海外の大学院(マスター)を選ぶ際に自分がどこのアルムナイ(卒業生)ネットワークに所属したいかも含めて慎重に考え、途上国の医療経済分野に強いLSEとLSHTMのジョイントコースを選びました。もちろん何の専門分野を勉強したいか、その分野の権威が大学院にいるかは大前提ですが、
アルムナイネットワークを活用することも国連で働く場合には重要になってくると思います。PhDはどこの大学うんぬんよりも、研究論文の質がネックになるので、自分の希望する研究内容をちゃんと指導してもらえる指導教官がいるところを選ぶことが重要です。

(吉川)今後の展望について教えていただけますでしょうか。
(渡部)国際機関では転職がキャリアアップの前提であり、キャリアのサイクルは3〜5年と言われています。一度国連に入ったら5年くらい同じところにいて結果を出すというのがいいと上司や同僚からも言われています。私は外務省時代からSDGsの交渉に携わりグローバルな枠組み・ガバナンスの構築の仕事をしていて、現在はパートナーシップの事務局としてそれをインプリメント(実施)しています。交渉段階から関わってきたこの仕事はある程度のめどがつくまでやり切りたいと思っています。
ただ、今後国連での幹部職員を目指すのであれば、グローバルな経験だけではなく途上国での現場経験や成功体験も必須なので、次の転職はカントリーレベルでの政策立案・事業実施に携わることを希望しています。
現場での成功体験無しに、自信を持ってグローバルな政策をリードすることはできないですからね。国連の上の方々も現場を経験し、机上の空論ではなくソリッドなコアを持って議論されています。
私はタイミング的に先にUHCの国際的な枠組みを作るという仕事を優先してきましたが、カントリーレベルであると5〜10年結果が出るのに時間がかかるので、しばらくそうしたレベルでUHCに関する実績を積んでいきたいと考えています。

(吉川)これまで様々な機関で様々なご経験をなさってきたと思うのですが、一番楽しかったことはなんですか。
(渡部)何を楽しいと思うかは個々人の性格によると思うのですが、私は何かを新しく作って構築していくのが好きなので、JICA、外務省、WHO、UHC 2030のそれぞれでゼロベースに作り上げていった経験は面白かったです。また、所属組織は違えど同じテーマを似たようなステークホルダーと継続的に仕事ができたことは、物事を多面的な視点から取り組むことができた大変貴重な経験でした。

(吉川)最後に、私と同じく国際機関に興味がある若者に向けて一言お願いいたします。
(渡部)自分がやりたいことも大事ですが、そこに自分のバリューがあるかどうかもきちんと考えなければならないと思います。熱いパッションとこうした冷静な戦略が国際保健には重要です。それらのいずれかを失ってしまうと価値のある仕事ができなくなってしまうと思います。熱いパッションがないと続けていくのは難しい分野ではありますが、ただ情熱を持って推し進めるだけではできないときもたくさんあるので、冷静に戦略を立てて筋道を立ててやっていくという方法と、その時々に適切なパートナーを見つけてやっていくという方法、この2つを駆使して進んでいってもらえたらなと思います。

国際機関邦人職員インタビュー「仕事と子育て」座談会

国際機関で働く場合、機関や職種にもよりますが、勤務地や雇用の継続性などで一般的な日本企業への就職に比べて高い柔軟性が求められ、見通しが立てにくい面があります。その中で、仕事と私生活、特に家族との生活をどのようにバランスさせていくのかは、これから国際機関への就職を志す方にとっても一つの関心事ではないでしょうか。そこで今回は「仕事と子育て」に焦点を当て、ジュネーブの国連機関で働く傍ら、子育てを経験されてきた先輩職員と、現在子育て中の若手職員に、仕事と家族生活に関するこれまでのご経験や考え方について対談していただきました。

今回は異性との婚姻や出産・子育てについての経験を語り合いましたが、価値観は人それぞれで、もっと違う形の家族や、家族を持たない生活も当然あります。そのような多様性を認めつつ、仕事と私生活のバランスはどんな人にも必要、という認識を踏まえての座談会とご理解ください。また、以下の内容は個々人の「経験談」ですので、現時点での制度については各機関や学校などにご確認ください。

座談会参加者
野口好恵さん:国際労働機関(ILO)労働法改正・支援ユニット 労働法上級専門家
松尾嘉之さん:世界保健機関(WHO)財務部 ファイナンス・マネージャー
小林有紀さん:国際労働機関(ILOBetter Work プログラム・リサーチオフィサー(JPO
戸田満さん:国際労働機関(ILOFuture of Work テクニカル・オフィサー(JPO
JPO = ジュニアプロフェッショナルオフィサー(外務省の邦人若手職員派遣制度)

実施日:2018926
聞き手:和氣未奈、浅海誠、服部真衣(ともにILO



1.まず皆さんの現在に至る職歴と、ご家族についてお教えください。

野口:私は人事院に法律職で働いている間、今で言うJPO制度(当時は国家公務員もILOに複数の省庁から来ていました)でジュネーブのILO本部に2年間勤務しました。その後帰国して霞ヶ関の仕事に戻り、英国人でILO職員だった相棒が無給休暇を取って来日し結婚しました。一年の休暇が切れた時点で、彼が仕事を辞めて東京に留まるか、私が辞めてジュネーブに来るかの選択をせまられ、ジュネーブを選びました。その後、長男の出産直前にILOで前と同じ法律職の試験を受け、何度か繁忙期のみの短期契約(Short-term)で働いたのちに任期付任用(Fixed-term)、期限の定めの無い任用(WLT)となりました。短期契約の合間に、長女、次男を出産しました。子どもは三人とも、もう成人しています。

松尾:私はもともとは日本の銀行で証券アナリストとして勤務していたのですが、企業派遣プログラムでフランスに渡りMBAを取得する機会がありました。その後、ベルギーに赴任した際に、現地の女性と結婚しました。一度仕事の都合で日本に帰ることになったのですが、ヨーロッパでの働き方や生活に魅力を感じ、自力で2年間ほどかけてヨーロッパでの仕事を探し、2000年にジュネーブのILO本部で採用されました。ILO本部で4年、WHO本部で3年、パリのUNESCO本部で4年働き、2011年から再びWHO本部の財務部資金管理・運用セクションに勤務しています。前職の経験を活かせる、資産運用や世界各地の事務所のための為替取引などを担当している部署です。東京生まれの長男と、ジュネーブ生まれの次男がいます。

小林:私は日本の大学の学部を卒業後、日本民間企業に勤務していましたが、日本人の夫の転勤で一度ジュネーブに移住した際、こちらで修士号を取得しました。その後、日本のJICA本部や、在ジュネーブ日本政府代表部で働いたのち、2017年の春にJPOとしてILO本部に着任しました。その後2017年秋にジュネーブで出産して、現在子育て真っ最中です。結婚後、夫とはお互いにキャリアを優先する形で別居の期間もありましたが、今回は出産・育児もあるので、夫が調整して会社のジュネーブ支社に転勤してくれました。

戸田:大学在学中から国際機関への就職を念頭に置いていました。2011年に日本の大学(学部)を卒業後、途上国での実務経験を積むために新卒でインドの現地企業に就職し、ムンバイ本社で2年間勤務しました。その後、日本の民間企業に転職し、東京で3年間働きました。そして、JPO試験の要件のひとつである修士号を取得するためにロンドン・スクール・オブ・エコノミクス(LSE)に留学し、卒業年度にJPO試験に合格しました。私は小林さんとJPO同期で、同じく2017年春にジュネーブのILO本部に着任しました。妻は日本人で学校の教員をしていて、産休制度等を活用してジュネーブに同行してくれています。2017年夏に第一子が生まれました。


2.小林さん、戸田さんは、国連機関でのキャリアのスタートと結婚・出産のタイミングをどのように考えられましたか?

小林:JPOの対象者はどうしても結婚や出産が重なる時期にあります(日本の場合、修士課程修了後~35歳以下)。平均年齢は30代前半くらいだと思います。また、開発関係の仕事だと23年間の契約で働いている場合も多く、結婚や出産を躊躇する場面もあるかと思います。私の場合、出産については、30歳になり年齢との関係でもうあまり先送りできないかなと思っていたところ、妊娠が分かりました。出産し落ち着いてからJPOに応募することもできますが、ポジションとしてはP2のポストが大多数なので、キャリアの面からいうと、次につなげるうえで早めにJPOを開始した方がいいかもしれません。常に不安要素はあるので、それぞれ個人の考え方とどこで見切り発車するかだと思います。

戸田:ジュニアレベルやインターンから国際機関でキャリアを積んでいく場合は、最初の10年間くらいは雇用期間・形態や勤務地などの面で不安定さや予測のしにくさは常について回ります。その事実を受け入れたうえで、パートナーのキャリアとも折り合いをつけながら、結婚・子どものタイミングを考えるのが理想ではあると思います。ただそうは言っても、実際のところはパートナーとの出会いも巡り合わせで、子どもも授かりものです。そのため私の場合は、家族に纏わることの方を所与として、その中で最善のキャリアを実現するように心がけています。現段階では、私と妻それぞれのキャリアや子育て環境を踏まえて、よりよい選択ができるように話し合いをしているところです。私自身が母子家庭のような環境で育ったこともあり、子育てにきちんと関わりながら、開発関係の仕事をしていければと思っています。


3.出産~乳児期の子育てと仕事はどのように両立されたのでしょうか?所属機関で利用された制度などもあればお聞かせください。

小林:ILOに着任した際、妊娠中の旨を伝えていたので、医務室の先生が面接してこちらで医師が見つかったか、また健康的に働けるかどうかなどを確認してくれました。また助産師資格を持つ看護師さんがいたり、しっかりした授乳室があったりして、とても助かりました。ILOでは産休が16週間取得できます。私は産前2週間から産休に入り、産後は14週間に有休を合わせて4か月休みました。特に産前は、正直体力的にキツかったのですが、在宅勤務を週1回入れて、読み物系の仕事をまとめてしたりして、メリハリをつけて乗り切りました。産後、上司は80%(週4)勤務や無給での育休延長を提案してくれたのですが、その分、JPOの期間が延びることはないですし、やはり今は仕事も頑張る時期かなと思い復帰後はフルタイムで働いています。ただジュネーブでも保育園が不足していて、保育園に入れたのはつい1か月前です。それまで5か月くらいは、お金はかかりますがナニーさんに来てもらっていました。

野口:私は3人とも出産がILOとの契約の切れている期間でしたので、産休は全く取得できませんでした。3人目が生まれたときは、3歳、1歳、0歳で、双方の実家の援助も無く、特にILO総会前後の繁忙期など、どうやって乗り越えたんだろうと今にして思います。長男出産のあとは、勤務時間50%で給与も50%という形で働いてみましたが、仕事量は50%で終わらない気がして、その後はフルタイムに戻りました。ILOの中でも私の担当していた国際労働法の適用状況を国別に書面審査する仕事は、仕事の内容と成果物がはっきりしているので、このような働き方に親和性があったのかもしれません。フルタイム勤務で乳児が居た時期は、授乳のために毎日お昼休みに自宅に帰っていました。スイスよりも最低賃金の安いフランス側に住んでいたので、育児・家事を手伝ってくれる人を雇う人件費負担は比較的軽かったと思います。子どもが熱や病気の時は、自宅とジュネーブの専門医と職場の行き来で一日に何度も国境を越えた日もありました。大変でしたが、職場ではフレックスタイムですし、男女問わず子どもの健康や教育のために親が行動するのは自然なことと受け止められている気がします。

戸田:私はILOの男親の産時休暇(Paternity leave)を利用しました。有給で最大4週間取得でき、1週間単位で分けて使えるので、産後の期間で柔軟に取れたのがよかったです。またILOからは子どもの扶養手当として月250フラン支給されています。健康保険は治療費の8割をカバーしてくれる職員健康保険基金(SHIF)に加えて、残り2割をカバーする任意加入のGPAFIという保険に加入しており、一律の保険料以外の自己負担はなく受診できています。怪我や病気になりがちな、乳幼児を抱えている世帯にとっては、突然の高額な医療費の不安がなくなるので助かっています。いまは平日の日中は在宅の妻が育児をしてくれているので、帰宅後や休日は積極的に家事・育児に関わっています。また我が家では「家庭内休暇制度」というものを設けて、年間12日間は夫婦でお互いに好きなときに自分のためだけの自由な時間を取れるようにしています。

野口:大変残念ながら、私が出産した頃はPaternity leaveはまだありませんでした。

松尾:そうですね。できたのは2000年代前半だったと思います。私のところも次男が生まれた後だったので結局使えませんでした。とは言えヨーロッパでの働き方は当時から魅力的でした。私は日本で働いていた頃は朝8時前から23時頃まで働く日も少なくなく、週末にも働くことがありました。ヨーロッパでは、基本的に私の勤務時間は9時から18時まで、有休もフルに使えます。国連での最初の転職では、日本でもらっていた給料に比べて絶対金額は下がったかもしれませんが、その当時の為替レートで計算すると、単位勤務時間あたりの給与はほぼ2倍になりました。

小林:働き方という点では、今の職場は男女や子供の有無などにかかわらず、誰もが仕事と私生活の両方を大事にしていて、18時までには職場を出るという文化が根付いています。子育て中の女性だけにやさしい制度があるというのではどうしても肩身が狭く感じてしまいますが、みんなが同じように私生活を大事にしているという風潮が、とても働きやすいです。また、上司は4日勤務ですが、昇進もしていますし、時短でも成果が認められる点は今のチームの好きなところで、こういった両立の仕方もあるのかと勉強になります。

松尾:私も日本にいたときはどうしても仕事優先になっていましたが、ヨーロッパでは家族・私生活とうまく両立しつつ働けています。

野口:ヨーロッパ全体として、私生活を大切にし、休暇はしっかり取るという社会的規範、共通認識がありますね。夏休みの78月は仕事がなかなか動きませんがそれも仕方ないとみんなが思っています。


4.これからの国際機関でのキャリアと子育てについて、小林さん、戸田さんが不安に思っていること、野口さん、松尾さんに相談してみたいことはありますか?

戸田:今一番の課題は、パートナーと自分の仕事で勤務地の折り合いをどうつけるかということです。先ほどお話したように、今は家族とは別居せずにすむ範囲で社会開発に関わる仕事ができればと思っており、話し合いながら決めていくしかないと思っています。

小林:私も勤務地をどうするかという点です。今後のキャリアのためにフィールドに出るタイミングを考えています。小さい子供を連れては大変かと思うのですが、一方で子どもの就学前にフィールドに行っておくほうがよいという先輩もいます。

野口:確かにフィールドでは家事や育児のための人を雇いやすいようですが、ジュネーブでは人件費の高さもあり簡単にはいかないかもしれません。フィールドから本部に来て自分でやらないといけないことが多く驚いたという同僚がいました。私の場合は、次男に自閉症があって、家族のために相棒も私も単身赴任は考えられませんでした。昇進を目指すにはフィールド経験が欠かせないと言われますが、家族との関係で折り合いをつけるしかないと思います。ILOではフィールドへのローテーションはシステム化されておらず、モビリティも限られています。本部・フィールドを問わず、空いたポストに対し競争するしかないのが実情です。

松尾:私の場合は、引越しを伴う転勤・転職の都度、妻が仕事を辞めてついて来てくれて、また、子どもが小さい頃はパートタイムで勤務時間50%で働いていました。国際機関も色々ありますが、フィールドオフィスにローテーションで赴任するという機関もあり、また、赴任地によっては、家族を連れて行くのが難しい場合もあるでしょう。家族を連れて行くか、配偶者の仕事をどうするか、現地で仕事を見つけられるか、子供の学校はどうしたらいいかなど、色々考えないといけないことがありますね。知り合いの中に、家族を連れてフィールドを何ヶ所も経験した後、子供が大きくなったところで、家族のためにローテンションの少ない違う機関・職種へ転職した人がいました。一般的に、フィールドオフィスへの赴任時に、配偶者が同行して職を見つけるのは簡単ではないかもしれませんね。


5.野口さん、松尾さんはお子さんの就学後、教育面でご苦労されたことはありますか?

松尾:初めはフランスのシステムで幼稚園から上がっていき、途中からジュネーブの私立校に入学させました。パリへの転勤を機にフランスのシステムで中学・高校くらいまで上がり、2011年にジュネーブに戻ってからまた以前と同じ私立校に入学させました。

子どもたちは、学校や普段の生活はフランス語を使います。妻の母語であるオランダ語と、日本語に加えて、学校では英語とドイツ語を学びました。家族の共通語はフランス語ですが、レストランに行っていろんな言葉を混ぜて会話していると周りの人は少し混乱するようです。ただ、次男は2歳になってからもなかなか言葉がでてこなかったので、少し心配しました。そんな時Amazonでジュネーブで暮らしたことのある国際結婚の夫婦が書いた”Raising Multilingual Children: Foreign Language Acquisition and Children”という本に出会いました。彼らの調査によると、家族の中に2つの言葉があると、1言語の場合に比べ6か月くらい言葉が出るのが遅れる、3つあるとさらに6か月遅れるということでした。これを読んで少し安心しました。

現在長男はスイスのドイツ語圏の大学で勉強しており、次男は高校は卒業しましたが、来年9月の大学入学までの1年間に、何か有意義な活動をさせようと、この9月からは英国に留学、1月からはフランス人の友人の紹介で職業経験をつむ予定です。

野口:長男・長女は幼稚園から高校までフランスの公立現地校でした。CERNに近いフランス(フェルネイ)の公立校(中・高)では複数のヨーロッパ語でその国の歴史や主要教科も学べるインターナショナルプログラムが提供されていて、うちの子達は英語のプログラムを受けました。それから英国の大学に進みましたが、英国籍のおかげで学費はその分安くなりました。今、長男は日本で結婚して英語を教えていて、娘はロンドンで働いています。自閉症のある次男はジュネーブから50kmくらい離れたところにある私立の特殊教育学校にずっと通っています。

長男と長女は高校まで日本語補習校にも通いました。送り迎えがなかなか苦労で、近所のご家庭とローテーションを組んで分担したりしていました。ジュネーブには短期赴任のご家族も少なくない一方、こちらで生まれ育った子達も居て、クラスの中での日本語力に開きがありますが、補習校では基本的には年齢で学年が上がっていきます。作文や発表会などの課題もけっこうあるし、外で日本語に触れる機会も限られるし、ついていくのは、手伝う親ともどもかなり大変だったと思います。ちなみに外国語としての日本語はフランスのバカロレアの選択科目に入っていて、補習校の劣等生でも良い点が取れ、平均点の足しになりました。一方インターナショナルスクールのバカロレアで日本語を選択すると水準が非常に高く大変と聞きます。

松尾:パリで働いていたときは、理解度に合わせて1年分を2年間かけて学べる日本語補習校に通わせていました。日本語の音読をたくさんさせるところがよかったと思います。ジュネーブに戻ってきてからも日本語補修校に通わせましたが、宿題が大変なのと、最終的には漢字が難しくなり、長男は中学2年、次男は小6でやめました。

戸田:お二人ともパートナーが外国人で、お子さんも外国で育てられてきた中で、それでもお子さんに日本語を学ばせようとされてきたのはどうしてですか。やはりご自身が日本人であるということが大きいですか。

野口:日本に帰ったときの親戚との会話など、実用面が大きいですね。でも、我が子に日本語を教えないという選択肢を考えなかったのかもしれません。上の二人には、私がボケて日本語しかわからなくなったら頼むよと言っています。

松尾:私のほうも、日本にいる親戚とコミュニケーションが取れるようにと、補習校は少しでも続けさせました。

野口:子どもの将来を考えると、配偶者が外国籍の場合以外でも、国籍をどうするかも重要な問題だと、あとから気づきました。日本は多重国籍が許されないので、日本国籍だけと割り切るのか、子どもが将来日本以外で生活する可能性を考えて、他の国籍が取れるようにするのか、といったことで生活設計が変わってくるかもしれません。


6.本当に貴重なお話をありがとうございました。読者で国際機関就職を志す人にメッセージがあればお願いします。

野口:日本での就職の仕方や働き方がすべてと思わず、世界に目を向けて外に出てきていただきたいと思います。

戸田:繰り返しになりますが、キャリアや家族に対する価値観は人それぞれです。ただし、国際機関でキャリアを積んでいくとなれば、仕事とそれ以外で大切にしていることとのバランスや折り合いが難しくなることもあります。少しでも本記事が参考になれば幸いです。

宇野公子・学習院女子大学教授と学生の皆さんによるジュネーブ訪問




2018年9月7日から9月12日まで、学習院女子大学の宇野公子教授率いる学生の皆さんが、 ジュネーブにある国連・国際機関を訪問されました。

宇野先生ご自身、30年近くの間、国際労働機関(ILO)、経済協力開発機構(OECD)、国際連合(UN)、世界銀行(WB)など、様々な国際機関で働いてこられたキャリアをお持ちです。

ここ数年、ジュネーブの国連・国際機関スタディツアーを毎年実施しており、今年は東京工業大学、東北大学、東京外国語大学、東京大学、お茶の水女子大学、学習院女子大学、神戸大学、福島工業高等専門学校から、21名の学生さんが参加されました。

滞在中は、国連労働機関(ILO)、国際貿易センター(ITC)、国際移住機関(IOM)、国際連合人権高等弁務官事務所(OHCHR)、国際連合エイズ合同計画(UNAIDS)、国際連合貿易開発会議(UNCTAD)、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)、国連世界保健機関(WHO)、世界知的所有権機関(WIPO)、世界貿易機関(WTO)、そしてジュネーヴ国際機関日本政府代表部の、計11の機関を訪問し、それぞれの職員から説明を受けました。


うちWIPOでは、3人の日本人職員が対応しました。参加者は、各職員のプレゼンテーションを聞いた後、非常に活発な質疑応答の場を楽しみました。

参加された学生さんからよせられた感想をご紹介いたします。

「ジェンダー、国際特許出願、著作権法と、御三方それぞれのお仕事についてお話しいただき、ジュネーブに本部を置く国際機関の中でも専門機関であるWIPOの独自性を感じることができました。また、キャリア形成についても非常に具体的に説明をいただき、国際機関職員を志す私たちにはとても参考になりました。」

「特許や著作権は人々の発明や創作を奨励するものである一方で、世界規模で特許や著作権の適切なバランスを図ることの難しさを感じました。そうした問題にWIPOの職員の方々が情熱と誇りを持って取り組まれている姿に魅力を感じました。また、私も将来は国連で働きたいという思いがあり、講演頂いた方々のキャリア形成のお話はとても参考になりました。」

「大学で知的財産法を学んでいたこともあり、WIPOの活動には興味がありました。先進国、途上国ともに自国の国益を考えるなかで、WIPOが世界規模のポリシーメイカーとして、文化や技術の振興に携わっていることを学びました。」

「WIPO訪問で1番心に残った事は、WIPOがLGBTや障がいを持つ方を含めて多様な人材が働きやすい環境を整え、その最前線に日本人職員がいるという事です。日本でもトランスジェンダーの受け入れを表明する大学が出始めた事に関連し、今日のお話を聞くことができよかったです。実際にカフェテリアでの食事中も、白杖を持った方を見て、WIPOの環境が整っているのではないかと感じました。今後、公務員として地域の人々に貢献したいと考えていますが、改めて、多様なバックグラウンドを持った人々と共生する大切さを学ぶことが出来ました。自分のキャリアに今日の経験を活かせればと思います。」



文責:モンルワ幸希(WIPOジュネーヴ本部/著作権・クリエイティブ産業部)