コソボの防災能力強化に取り組むーUNDPコソボ事務所 富永文彦さん

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今回はJPOプログラムを通して、UNDPコソボ事務所の持続可能な開発及び環境、気候変動・防災ユニットでプログラム・アナリストとして勤務されている富永文彦さんに現在の仕事についてなど寄稿して頂きました。 

コソボの防災能力強化のために日本の協力でプロジェクトを立ち上げ


JPOになる前は何をされていたんですか。

米国の大学院で国際環境政策の修士号を修了後、モザンビークの日本大使館で、草の根・人間の安全保障無償資金協力の業務を担う外部委嘱員という仕事に就きました。ここでは開発の現場でどのようにプロジェクトが実施されるのかをドナーの視点から学ぶことができ、今の仕事にもつながる非常に良い経験ができました。モザンビークで1年半働いた後、プロジェクトのレベルではなく、より政策に近い分野での経験を積みたいと考え、ニュージーランド(NZ)の日本大使館で、経済及び経済協力担当の専門調査員の仕事を始めました。この仕事では、日本政府の外交方針や経済政策をNZ政府へ伝達し、また、逆にNZの政策を調査して日本の外務省へ報告するという業務を経験しました。特に印象的であったのは、気候変動枠組条約をはじめ国際的な交渉においては、会議が始まるかなり前から各国の首都で情報・外交戦が展開されているという点でした。その後、JPOプログラムに合格し、2015年3月からコソボの国連開発計画(UNDP)で働いています。

―現在の仕事の内容について教えてください

現在はUNDPコソボ事務所における環境、気候変動、防災分野のプロジェクトを担当しています。私の役割は主に、1)プロジェクトの実施管理、2) 新規プロジェクトのデザインおよび企画書の作成です。1つ目の役割は、進行中のプロジェクトの迅速な実施を監督することが求められます。現在は、コソボにおける防災能力強化を目的とするプロジェクトと、地方自治体の廃棄物処理をより効果的で持続可能なものにするためのプロジェクトの進捗状況を監督しています。
2つ目の役割では、UNDPや他の開発パートナーが拠出する資金を用いて実施するプロジェクトをデザインし、それを企画書に落とし込む業務を行っています。プロジェクトの分野や大まかな方向性は、各機関の優先事項やコソボにおけるニーズを総合的に勘案し、UNDPの常駐代表やドナー国の大使、そしてコソボ関係者などの協議である程度決まりますが、その後のプロジェクトのデザインや企画書の作成は事務レベルで詰めていくことになりますので、それを担当しています。

防災・復旧の重要な担い手―女性の防災関連能力強化を

―今度日本の協力でプロジェクトが立ち上がるとそうですが、どういったものなのでしょうか。

この度、日本政府が支援する日・UNDPパートナーシップ基金という枠組みで、私が企画段階から関わった防災分野の新しいプロジェクトをコソボで立ち上げました。このプロジェクトでは、多様なニーズを持つ人々の視点に立った包含的な防災対策を計画するほか、女性が防災・復旧の重要な担い手であると位置づけ、女性の防災関連能力の強化を図る予定です。
男女をめぐる社会的状況や、性別による伝統的な役割分担などの影響もあり、女性は災害リスクの高い人々と位置づけられることが多いのですが、コソボでは文化的に、女性が家庭やコミュニティ内での責任を持つことが多いため、逆に言えば、女性たちの災害に対する知識や防災能力を強化することで、彼女たちがコミュニティレベルでの防災対策の上で重要な役割を担います。例えば洪水が起こった際に、女性がどのような行動をとればいいのかを予め把握しておけば、家族全員を安全に避難させることが可能ですし、彼女たちが連帯すれば、コミュニティ全体としてのレジリエンスを高めることができます。
防災分野における優れた知見を有した日本が資金を拠出し、コソボの防災対策を継続的に支援してきたUNDPが実施する予定であるこのプロジェクトは、日本の国際協力機構(JICA)の支援との相乗効果も見込まれ、コソボの防災能力を更に向上させることが期待されます。 

―今後の夢や進路を教えてください。

2年契約の現職に就いてから既に1年半が経ったため、現在はUNDPをはじめ、国際機関での継続的な勤務を目指して新しいポストへ応募をしている状況です。国際機関では2~3年の有期契約という雇用形態が多いため、数年毎に新しいポストへ応募することが求められます。この制度は、雇用の安定という意味では過酷ですが、ポジティブに考えれば、数年毎に自分がやりたいことを明確にし、今の仕事が本当に自分の「命」を「使」ってするような「使命」の仕事なのか、自問自答する良い機会を持てているとも言えます。
私が開発分野を志す原点となったのは、父親の仕事の都合で、6~9歳までの3年間を過ごしたモンゴルでの経験です。当時のモンゴルは共産主義から資本主義への移行期で、街には貧困が溢れ、自分と同じぐらいの年齢の子どもが物乞いをし、マンホールの中で暮らしていることに、幼心ながら衝撃を受けたことを覚えています。こうした苛酷な環境下で生きていかなければならない人たちのために働きたい、少しでも役に立ちたいと思い、今後もこの仕事を続けていきたいと考えています。長期的には、 支援を必要とする人が自立し、私が現在行っているような仕事をなくすのが目標と言えるかもしれません。

―最後にこれからJPOを受ける人へのメッセージをお願いします。

私の高校時代の先生が、国際人の要件はタフであること、と言っていましたが、実際に開発途上国の厳しい環境で、様々なストレスにさらされながら仕事をするようになり、ようやくこの言葉の意味をわかったような気がします。世界を舞台に国連の仕事をするというのは華やかなイメージがあるかもしれませんが、大変な面もあるということを理解した上で、 若い人にはどんどんこうした分野に挑戦していってもらいたいと思います。国際機関への登竜門という意味で、JPOプログラムは非常に素晴らしい制度ですが、国際機関への就職がゴールとなってしまえば本末転倒です。したがって、これからJPOを受ける方々は、常に国際機関で何をしたいのか、どうしたら世界を良い方向へ変えていけるか、何のためにJPOになるのか、といったことも併せて考えていっていただければと思います。

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